「駅家(うまや)の木馬」計画進行中
現在、私は「駅家の木馬」計画に忙しい。駅家(うまや)とは、前橋の名前のもとになった言葉で、城のそばの馬をつないでおく小屋という意味である。その馬小屋--駅家のそばに橋があったので、駅家の橋(うまやのはし)と呼ばれ、それが「厩橋」から「前橋」になったとされている。
群馬といって全国的に知られているのは、国定忠次と萩原朔太郎である。1人はやくざ、1人は詩人。2人とも有名ではあるが、地元では彼らを地域の文化資本、資源として十分に活用するにはいたっていないようである。やくざを行政は支援できないし、故郷を捨てた詩人もどうもしっくりこないらしい。微妙な距離感があるのだ。
そこで私は、忠治と朔太郎をつなぐ新しい物語を提案しようと考えたのである。両者は30年ほどの時間的差があるだけで、ともに近代の誕生時期を生きた人物である。この両者をつなぐ人物として忠治の子供、長岡寅次が物語の中心に位置することになる。幕末から明治の時代で寅次をめぐる多くの人、出来事が、忘れられてきた前橋の町の、もう一つの歴史を呼び起こす--これが「駅家の木馬」の目的であり、寅次が弁財天から実行を促された木馬祭りを、現在に実現することも計画の中心でもある。
これまでの町おこしアートは、ほとんどがイベント中心だがイベントのあとに地域に残るものがない。私は地域特有の物語をつくることで、これまでのアートイベントにはなかったほかの可能性を付加したいと考えている。地域のいろいろな人たちと一緒になって自分たちの手で歴史を再構成し、新しく読み替えていく喜び、おもしろさを伝えたいと思っている。
木馬祭りのイベントで終了ではなく、由来の物語が地域で共有され、定着されるように考えている。冊子制作もすすめ、英文のウェブサイトも開くつもりだ。幕末から明治にかけては、アートの歴史において世界的に重要な動きが起こっている。極東の島で起こった木馬祭りも、そうした世界史的な流れと無縁ではなかったことが証明される。「駅家の木馬」計画は、地域、時代を超えていくアートの可能性を、前橋から示せる好例となるはずだと考え、目下制作に邁進している。
(2011年7月19日)
今後の予定
8月4~10日 前橋ノイエス朝日にて個展。9月3、4日前橋市美術館プレイベント「駅家の木馬」計画を実施。9月に『西洋美術史を解体する』の読書会を東京で行う予定。
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前橋市に美術館が2年後にオープンすることもあり、前橋の町にさまざまな作家がきて活動がはじまっている。