豪華客船にないもの:アジア・ソサエティー美術館
ニューヨークにはいくつもの「豪華客船」的な美術館があります。メトロポリタン美術館しかり、ニューヨーク近代美術館しかり。これらの大規模な美術の御殿は、コレクション数もさることながら、集客数も毎年かなりの桁をうちだします。この都市へ初めて訪れる観光客は、アートが好きであろうがなかろうが、とりあえずこういった御殿へは足を向けるものです。でもニューヨークが本当に美術のメッカとして現在も位置するのは、実は数々ある比較的小規模な美術館の活躍にも多くを負うのではないかな、と私はずっと思ってきました。
私は2005年にコロンビア大学院を卒業後すぐ、パーク街と70丁目に位置するアジア・ソサエティーに、現代アジア美術および現代アジア系アメリカ美術を専門とするキュレーターとして勤め始めました。アジア・ソサエティーは1956年にジョン・D・ロックフェラー3世が設立したアジアの文化・経済・政治を専門とする非営利の教育機関です。第二次世界大戦後、これからアメリカはアジアを多面的に知り、多分野での交流を励むべきである、というロックフェラーの意志を体現する機関なのです。その多方面での活動の中でも特に美術館は、規模は大きくはありませんが、組織の顔としてニューヨークのアッパー・イーストサイダー達に長く親しまれてきました。
でもアジア・ソサエティー美術館は90年代半ばまでは、展覧会企画はロックフェラーから寄贈されたアジアの古典美術を軸に、すべて「古きよきアジア」を紹介するものに限られていました。アジアは今も生きているし、私も現代を生きている。ニューヨークでは生命力旺盛なチャイナ・タウンがリトル・イタリーを押しやる勢いであるというのに、なぜアートは19世紀半止まりで展示範囲が終わってしまうのか、と学生時代からずっと物足りなさを感じていた私は、1998年にアジア・ソサエティー美術館が開催した「Inside Out : New Chinese Art」という、現代中国美術に焦点を当てた展覧会を当時研修員として手伝って以来、将来はこういった旬な現代を語るプロジェクトを手がけたい、とずっと願っていたのでした。
幸運にもまさしくこのアジア・ソサエティー美術館でキュレーションの仕事をすることになり、まず私ができることは何かと考えた時、まず第一には他のニューヨークの大美術館ができないリスクを恐れない企画だと思います。アメリカの大きな美術館には実は想像以上に古風なところがあり、専門家は分野(西洋モダン、東洋美術、現代美術、等)やミディアム(絵画、彫刻、素描、等)ごとに細かく分けられており、このテリトリー化された状況を超えて展覧会を企画することはとても難しいのです。当館には古典美術担当のキュレーターが一名と現代美術担当キュレーターの私が一人ですから、テリトリー意識どころか、お互いの専門分野を尊重しながらも、企画の相談をしあったり、アイデアを出しあったりと、創造を育む非常に恵まれた環境があります。
こうしたコラボレーションの意識がきっかけで数年前に始まったのが「In Focus」という現代美術個展シリーズです。ロックフェラーから寄贈された当館所蔵の古典美術は、作品数は300点弱と少ないのですが、その一点一点が国宝級の質と認められています。これらのコレクション作品はそれこそ日本の埴輪からガンダーラ仏教彫刻と多彩です。「In Focus」は、アジアの若手アーティストを招待し、ロックフェラー・コレクションからお気に入りの作品を選択、それをインスピレーションにして新作を制作してもらい、古典美術作品と一緒に展示するというプロジェクトです。既によく知られているコレクションに、コンテンポラリー・アーティストたちに新しい視点でアプローチしてもらおう、というのが意図ですが、国宝級の作品とのコラボ的プロジェクトなわけですから、もちろん専門家や愛好家から賛否両論あろうこと承知のリスクある企画です。でも、リスクを避けていては飛躍はありません。このシリーズのおかげで私は今までに照屋勇賢、須田悦弘と、二人のすばらしい日本人作家と仕事をする事ができました。
第二に私がアジア・ソサエティーで心がけているのは、なにが固定観念になっているかを常に敏感に読み取り、それを突き崩すような企画を生み出すということです。昨年9月に始まり今年1月2日に閉会した奈良美智個展は、その一番の目的として国際的に著名な奈良というアーティストを、今までまったく誰も焦点を当ててこなかった面から紹介・再評価の場を提供するということでした。アメリカでは奈良美智作品は、村上隆のスーパ―・フラットの一部として、日本のアニメと漫画というサブカルチャーが昇華されたポップ・アートのプロダクトとして、くらいの、現代日本アートの典型的イメージに当てはめられた見方しかされてきませんでした。彼の国際的知名度が高まる程にこの固定観念は強く根づいていったのです。
そこで、当館での大個展では、奈良自身が一番身近に、そして精神を突き動かし支えとするものとしている「音楽」に焦点を当てて展覧会の文脈を組み立てました。彼の初期作品から最新作まで、ミュージシャンや歌への敬愛のサインや反骨のパンク精神が潜んでいる絵画や彫刻、奈良自身の詩人的感覚を物語る日記的なドローイング、そしてまさしく音楽をテーマにして制作された大規模なサイト・スペシフィックなインスタレーション。アジア・ソサエティー始まって以来、この展覧会で初めて全館をあげて現代アーティスト一人の、フラットではない、奥深い世界観を提示しました。初めてのことばかりの展覧会で苦労も多かったのですが、当館展覧会史上最高の入場者数を得ることができたのは、アーティストの真実がオーディエンスに伝わったからではないかと思います。
アジアの現代アートは、マーケットの好調もあり、順風満帆に未来へ向けて成長・拡張しています。これはうれしい限りのことではありますが、その反面、アジア・ソサエティーにとってはニューヨークの大美術館達との競争が厳しくなるということでもあります。私は大豪華客船の甲板のプール・サイドでゆっくりカクテル片手に日光浴してはいません。スピード・ボートで、神出鬼没に、これからもいこうと思います。
(2011年2月23日)
今後の予定
2011年6月終わりから始まる次回の「In Focus」展の準備真っ最中!
今度は韓国の作家、U-Ram Choeの新作で動く彫刻を展示します。
どう動くのか、どう電気配線するのか、どう韓国から持ってくるのか、などなど、展覧会を実現させる上で重要な実際のロジスティックを最終調整してます。この段階までくるとだいぶ作家さんと「阿吽の呼吸」みたいのがとれてくる、ような感じ。
でも展覧会は多くの人たちが関わって初めてできあがるものですから、作家さんの意志がきちんと他のスタッフに伝えられなければいけません。それが大変な時があるのも事実…。
関連リンク
おすすめ!
毎年アジア・ソサエティーが軸となって「Asian Contemporary Art Week(ACAW)」がニューヨークとニューヨーク近郊のアート・ギャラリーや美術館が参加しておこなわれています。2011年は3月24日から31日までです。毎年規模が大きくなり活気づくACAWにぜひお越しください!
もしくはウェブサイトから楽しんでくださいね。