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文化財としての自動車を保存すること

 私にバトンを渡してくださった原田則彦さんが、自動車博物館のことに触れておられたので、この話を続けてみたい。

企業として必要な施設

 自動車を扱う博物館の主役は、歴史的なクルマ、いわゆるクラシックカーだろう。こうしたクルマを歴史遺産として動態保存すること。また、それを趣味の対象と捉えることは、欧米ではそう珍しいことではない。
 また、個人の趣味としてではなく、自動車メーカーが自社製品を中心に豊富な資料とともに動態保存し、自社の歴史を、あるいは自動車の発達史そのものを積極的に後世に残そうという試みも古くから盛んにおこなわれ、近年では、ドイツのメーカーは競い合うように内容の充実化をはかっている。
 それは決して懐古趣味に起因しているのではない。自動車メーカーが自社の歩んできた道、すなわち製品造りの道程を冷静に振り返って記録し、それを社外はもとより、社内にもアピールすることが、自社製品のアイデンティティーを確立するうえで不可欠だとの考えからだ。
 私自身、海外のメーカーの首脳陣からそうした考えを聞いたことは2度や3度のことではない。これは今から20年ほど前のことだが、ドイツの某メーカーの役員から、「日本は工業の歴史を大切にしないように見えるが、それを疎かにすれば、今後の国際競争の中で不利になる(負けるぞ!)」と言われたことさえあった。自動車産業に限らず、新興工業国による工業生産が活発化するなかで、今後、こうした動きはさらに活発化すると考えられる。
 自動車産業の裾野はたいへん広く、新旧のクルマを比較してみれば、その時期のさまざまな産業の様子がよく理解できる。外観だけを見ても、デザインの変遷は誰の目にもわかりやすく、その美しい姿を鑑賞しようとする展覧会もしばしばおこなわれているし、自動車をアート作品のひとつとして捉えることも珍しくはない。

なぜ博物館が欲しいのか

 空想家、いや夢想癖に取り憑かれた私は、だいぶ前から、国立、それが無理ならせめて中立な立場におかれた自動車博物館が必要だと考えている。そして、その創設に参加したいと思い続けている。
上野には国立科学博物館という日本を代表する科学と産業を扱う博物館があり、自動車では、わが国で最初に量産体制を敷いて生産された、貴重な1925年オートモ号が動態保存されている。
 だが、自動車生産で世界第一位を経験し、紛れもなく自動車産業が国の基幹産業であるこの日本に、自動車専門の資料館・博物館がないのはおかしいのではないかと思う。さいたま市の鉄道博物館、所沢航空発祥記念館の盛況ぶりを見るにつけ、私はそう思い、地団駄を踏む。もちろん、若い人たちの理系離れや、モノづくり離れを止めなければならぬという想いもこれを加速させる。
 自動車博物館の必要性についての声は、私の周囲でも以前から少なくないのだが、いまだ実現されてはいない。
 常設館はとても無理だというのなら、まず第一歩として、大きな企画展を公立の博物館・美術館で頻繁に開催してみてはどうかと、私は机上にアイディアを展開する。
 現在のところ、その候補の筆頭が、東京・六本木の国立新美術館だ。理由はいろいろあるが、まず広いし、いささかこじつけかもしれぬが、戦後の日本における工業の発展を牽引した東京大学生産技術研究所跡地に建設されたということにも惹かれる。
 よく知られているトヨタやホンダだけでなく、ニッサン、マツダ、スバル、スズキ、三菱、日野、ダイハツなど、日本のメーカーはほとんど立派な博物館を持っているし、好事家が設けている私設の博物館もあるので、常設・期間限定の企画展であれ、日本人とクルマの関係を示す重要な車種や資料を集めることはそう難しいことではないと思う。

その時代の姿を残すこと

 博物館に展示するクルマは原則的には動態保存としたいが、歴史的なクルマを可動状態で、かつ生産された姿に忠実に保存することは、そうたやすいことではない。ただ動くようにするなら、さほど難しいことではないが、そのクルマが生産されたままの姿にレストア(復元)するには、メカニックの確かな技術はもちろんのこと、自動車工業についての深い見識が必要である。
 個人が自分の楽しみのために持つのなら、多少のことには目をつぶることもできるが、公設の施設で展示されるとなれば、製作された当時の姿に戻すことが望まれる。
 造られた時代に存在しなかった材質の部品や、時代錯誤の車体色に塗られていたとしたら、興醒めであるばかりか、歴史を偽ることにもなる。
 それには広い視野で自動車工業史を俯瞰し、ボルト1本、ナット1個、配線の被覆素材まで正確に時代考証する見識と努力が必要だろう。さながら歴史的建造物や、絵画を修復するかのように、である。
 映画などに衣装やまち並みなど、広範囲な時代考証を行なう人材があるが、クルマについてもそうした存在が必要になってくるだろう。実のところ、映画やテレビドラマでも首を傾げる車種選択もあるのだが。
 「その製品が造られた当時の状態に限りなく近づけること、当時の職人の仕事の方法とその痕跡を再現すること」が理想である。個々のクルマの製作に携わった人々の意図を汲み取って本来の仕様に戻すことが求められるのだ。

20世紀史の重要な存在としての自動車

 自動車が発明されたのは19世紀の後半のことだが、20世紀に入ってから本格的な普及が始まり、人々の自由な行動と、物資の移動範囲を飛躍的に拡大させることによって、社会構造を大きく変革させた。社会学者によって「20世紀は自動車の時代」あるいは「20世紀は自動車に乗ってやってきた」といわれるゆえんがここにある。
 それほど大きな存在であった自動車にとって必要なエネルギー源は、19世紀後半の誕生以来、ずっと化石燃料が担ってきたが、20世紀後半になって、環境問題や石油の枯渇から電気エネルギーや水素に転換しようとしている。エネルギー源が変われば、クルマの生産システムにも変化をおよぼすし、ボディや内装のデザインも大きく変わる。自動車専門のメーカーでなくともEVの生産が可能となれば、今以上にデザインの優劣が販売を左右するかもしれない。ここに至って、120年におよぶ自動車が作ってきた歴史が、大きく変わろうとしている。

 まちを走るクルマの主役がEV(電気自動車)になる頃には、20世紀の偉大な工業製品であるガソリン車とその周辺情報を網羅した、社会生活の変革まで踏み込んだ自動車博物館が誕生してほしいと思う。もっとも、それまでにはあまり時間が残されていないのだが。

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2006年春に完成したダイムラーの新しいミュージアム「メルセデス・ベンツミュージアム」。自動車博物館として他に例がない大規模なものだ。1886年から自動車をてがけているダイムラーは、自社の歴史を展示することが、自動車の発達史を明らかにすると考えているようだ。160台の展示車両を含む総数1500点以上の展示物が、9フロア、総展示面積1万6500㎡(5000坪)のスペースに展示されている。広報資料によれば、見学に要する時間は最低2時間、丹念に見ようとすれば5kmは歩かなければならない。これほど大規模でなくともいいから、日本車の歩みとそれがもたらした文化を網羅した施設がほしい。
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メルセデス・ベンツミュージアム内部。160台におよぶ展示車の内訳は、乗用車が80台、コンペティションカーおよび速度記録車が40台。これに従来のミュージアムには展示されていなかった40台の商用車も加わった。自動車だけでなく、船舶が1隻、航空機が2機、鉄道車両3両、19基のエンジン単体も展示されている。
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こちらはフランス国立自動車博物館の内部。個人が長年にわたって収集してきたコレクションを建物ごと国有化した。フランス車、とくにブガッティのコレクションでは世界一を誇る。元紡績工場の広い建物の中に見渡かぎりクルマは並んでいる。数が多すぎて、コンディションの向上までは、あまり手が回らないといった様子。だが、捨て去られずに残しておけば、あとはどうにかなる。
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動態保存するための修理の現場を覗いてみよう。これはイギリスのヴィンティッジカーのレストア工場。クラシックカーを歴史遺産として動態保存し、それを趣味にすることはイギリスで歴史が古く、そのレストアは産業として社会に組み込まれていた。この工房はアストン・マーティンの修理では評価が高く、世界中から修理の注文が舞い込む。
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個人的にはボディデザインの美しさもさることながら、機械の造形美に魅了される。私が特に魅了されるのは、Vintage(1919年1月1日~1930年末)と、Post Vintage(1931年1月1日~1945年末)時期に手工業的な生産形態で造られたクルマだ。これは1920年代後半のブガッティ(仏)のエンジン部品。[撮影=岡倉禎志]
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アーティストで自動車設計者であったエットーレ・ブガッティは、美しいクルマ造りを信条とし、ボルトまでも自身でデザインし、頭が特種な形状のものを自製した。レストアする際には、もちろんこのボルトを使わなければならないので、現在でもスペシャリストの手によって新品が作られている。これは1920年代後半の純正品と再生産品。[撮影=岡倉禎志]
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わが国で最も内容が充実している自動車専門の博物館は、このトヨタ博物館(愛知県・長久手)だろう。日本車のコレクションの規模では、石川県小松市の日本自動車博物館が随一だ。二輪車ではホンダ・コレクションホール(栃木県茂木町)が充実している。
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自動車の美しさを競うコンクール・デレガンスも保存運動の重要のイベントのひとつだろう。これは2010年春に行なわれた江戸桜通り三井本館前にて展示の様子。

(2010年8月23日)

関連リンク

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日本機械学会が選定している「機械遺産」(Mechanical Engineering Heritage)。

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

大川悠さんは、私の大先輩の自動車ジャーナリストです。定期的にお会いしていますが、自動車について話されることはほとんどなく、もっぱらマラソンのすばらしさと、二度も経験された、歩きお遍路の魅力について熱く語ってくださいます。広い視野をお持ちな大川さんなら、きっとすばらしい話をしてくださることでしょう。
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