とっても楽しい自動車のデザイン
僕が毎日デザインに明け暮れている自動車という工業製品は、僕が若かったころ、まさに多くの若者の憧れでした。こいつ車に惚れてる、といった感じの男がたくさんいました。自動車雑誌やディーラーのショールーム、新車のテレビコマーシャルなど、とにかく最新の情報に触れているだけで、何か不思議な、柔らかで自然な満足感とほのぼのとした高揚に包まれ、友人との自動車談義は時の経つのも忘れるほどでした。
この何とも気持ちのいい自動車熱病のようなものの症状は、運転熱、メカ熱、デザイン熱などが主なものでしたが、僕はとりわけデザインに弱く、道端で止まっている車の傍を小一時間ほど離れられずじっと見ているとか、バス停でバスを待っている時、目の前を走り去る車を追って突然全力疾走を始めるとか、映画の車が疾走しているシーンで突然泣き出すとか、いろいろおかしな症状が出ましたが、身近な友人の中には、もっと症状のヒドイ人もいました。
本当に自動車には何か神秘的な引力があり、自分の奥深いどこかに、知らずのうちに作用して、その力にはどこか根源的な温かさと力強さがあり、逆らうことができない。まさにこの世の美と力がその内部からこんこんと湧き出ているようでした。
ですから、前回このコラムを担当された細谷一郎さんが、ご自分の愛車(大変貴重な1960年代に作られたフェラーリです)の排気管(それ自体美しい)を楽器に見立てて鳴らしてみたら、むせび泣くような音を出す、マイナーの音階になっていたというお話を以前ご本人から伺った時は、本当にグッときました。とてもおもしろいお話でした。僕が以前、戦前のアルファロメオのプロポーションを調べていたら、その側面形が3つの黄金比の長方形に分割できるのを発見したのとちょっと似た感覚です。機械が機能を追求する過程で、それと表裏一体の関係にクラシックで普遍的な美の秩序を宿す仕組みが、いったい偶然の出来事なのか、人為的なものなのか? 興味は絶えません。
自動車がアートの範ちゅうに入るのかどうか、議論のわかれるところですが、その成り立ちにはとても耽美的な部分があるのは確かです。事実、1920年代から最新の自動車とともに当時の先端のファッションを競う、いわゆるコンクールデレガンスといったものが頻繁におこなわれました。当時の高級車は、まさにファッションにおけるオートクチュールと同じで、富裕層の顧客が自分の美意識、ライフスタイルといったものを、そのデザイナーに特別注文としてオーダーできる範囲と選択肢が大変多く、中には車体を丸ごとデザインし直してしまうこともありました。それらは、ヨーロッパの富豪や貴族、アメリカの新興億万長者やハリウッドスター、インドのマハラジャなどに納車されたのです。
第二次大戦後、これらの超高級車のマーケットは急速に衰退しましたが、ここ10年ほど再び活性化していて、実は僕の職場であるザガート(1919年創業の、ミラノ近郊アレーゼにある古いカロッツェリアです)も毎年、片手の指で数えられるほどの、特注デザインのスポーツカーを世界の愛好家の方向けに制作しています。最近は戦後、一時衰退したコンクールデレガンスも復刻が盛んで、大手自動車企業がイメージ向上のためそのスポンサー活動に精を出すので、年々華やかさを増しており、ザガートで僕がデザインする車も、そこで一般の方にお披露目される機会が増えています。
単品または10台以下の少量生産車は、一般の大量生産車のように納車後、人目に触れることはほとんどありません。しかも自動車のような移動体はスピード感や、周囲の空間との連続性といったそれ特有の美的特性を備えていて、写真などでもその魅力の全貌を写し取ることは容易でなく、作品を限られた人にしか見ていただけないという事実は、時折僕をジレンマに陥らせるのでした。博物館に保存されれば、何時でも見に行くことはできますが、決して動くことのないそれらはどこか動物のはく製を思わせます。そういえば自動車は、よく動物に例えられて、サラブレッド(正統な伝統をもったスポーツカー一般)とかカニ目(オースチンヒーレースプライト)とか呼ばれますから、そのうち動く車が、生で見られる、動物園かサファリパークのような自動車博物館が現れるかもしれませんね。
(2010年7月25日)
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バトンタッチメッセージ
でも伊東さんはその成長の過程で豊かに実った、ふっくらとしたお芋のようなもの(自動車文化)に、昔から温かな眼差しを向けていました。自ら古典車を所有され、美術工芸品としての自動車を取り巻く世界や人々からの信頼も厚く、生産大国なのに文化的には決して最先端ではないこの国に、かつてない自動車文化が実る大切なお手伝いをしてくださる方と思っています。