ハッピーカラープロジェクトを始めました!
私は昨年から「ハッピーカラープロジェクト」というプロジェクトを始めました。難病と日々闘っている子ども達と一緒に絵を描こう、絵を描くことを通して日々のつらい治療や苦痛や苦悩を一瞬でもいいから忘れる楽しさを作れるといいな、お互いに何かを共有できるといいな、そしてできれば子どもたちのお母さんや看護士さんたちも巻き込んで色(カラー)でハッピーになる機会をどんどん作りたい! そう思ったのでした。
私はこの世で絵が最も好きで、描くのはもちろん見るのも絵が一番好きです。そしてほぼ20年近く絵を描き続けて来たいま「この人生を生きるにあたって絵を描くこと以上に生きる喜びと意味はない」と実感しています。命ある限り絵を描き続け、自分も絵も深め高めていくのですが、そのプロセスの中で絵をたくさんの人に見ていただくだけではなく、せっかく私はいま生きているのだから生きている人々と直接コミュニケーションを持ちたい、みんなを知りたい、みんなと一緒にいたいと思う気持ちからいろいろなライブペインティングや子どもたちとのワークショップをやってきました。
2008年から何必館・京都現代美術館ですべて新作の個展を始め、今年で3回目になります。予定ではあと7回、計10年で10回やることになっています。ますます絵を描くことに集中する環境も整い、多くの時間と精力を絵に注ぐことになりそうです。では限られた時間の中でこれからはどういうコミュニケーションの形を持てばいいのか? と考えました。それはやはり子どもだろう。私たちがいなくなった後の未来を頼むのは子どもたちしかいない。でも子どもと一口に言ってもいろいろな子どもがいるし、全部は無理。どこかに特化しなくては。ではどう特化する?
私の弟は3歳で白血病で死にました。そのとき私は9歳、小学校3年生でした。もう40年も前のことです。医学の進歩で今なら助かったかもしれないですが、当時はまだまだ知られていない難病でした。私は難病の子どもの兄弟だったわけです。その時の気持ちをいまでもよく憶えています。お母ちゃんがいないことの淋しさ。いつも通りの生活のできない不自由さ。これからどうなっちゃうんだろうという不安感。そして何より入院していた岡山の大学病院から弟が帰って来た時、もちろん死んで戻って来た時に、悲しいより先に「ああ、終わったんだな」ってホッとしたことを憶えています。よかったとさえ思いました。そのことが40年経ったいまでも私の心の片隅に刺さったとげのようにずっとチクチクしているのです。あの小学校3年生の時の自分を詫びたい。でもいったい誰に? 何に? どうやって?
それで私は難病と闘っている子どもたちのところに行って一緒に絵を描きたいと思いました。もしかしてそれはみんなのためというより私のためかもしれない。でもそうすることで私はあの時の自分を詫び、決着をつけたいのだと思います。それは多分私に多くのすばらしいものを見せてくれるだろうと思っています。
(2010年2月18日)
今後の予定
2010年4月3日より5月30日まで何必館・京都現代美術館にて個展「飄々、MAYA MAXX」開催。 イベントなど詳しくはHPに都度載せますのでそちらを参照ください。
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次回執筆者
バトンタッチメッセージ
私のハッピーカラープロジェクトをつつがなく滞りなく進めていけるのは
高橋さんがいてくれるからで、物事をあまりシリアスに難しく捉えず、
でも丁寧に暖かく抱えてくれるからです。
ありがとう。これからもどうぞよろしくお願いします!