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IT×島暮らし

 私は現在、佐渡島(さどがしま)でWEBデザイナーとして活動している。
 今から4年前、生まれ育ったこの地に帰ってきた。それまで働いていた東京とはまったく違う環境。都会から田舎へ。新たな生活の始まり。いや、傷心して...というわけではなく、ただ"佐渡"という環境が好きで帰ってきた。それだけの魅力が佐渡にはある。

帰郷の決意

 私が佐渡に帰ることを決めたのは、佐渡での休暇中のことだった。
 その頃、私の生活スタイルは通常と少し異なり、2、3か月仕事に没頭し、その分1週間まとめて休みを取るというものだった。そしてその1週間は、ほぼ佐渡に帰省していた。
 東京の生活にどっぷり浸かっている私にとって、佐渡での休暇はとても新鮮で心地よい時間だった。おいしい空気、おいしいご飯、そして何より夜の静けさが気持ちよかった(東京では線路沿いに住んでいたせいもあると思うが...)。
 「佐渡に帰ろう」と決めたのは、そんな瞬間だった。
 それから、25歳、遅くとも30歳には佐渡に帰るという目標を立て、仕事に取り組んだ。

帰郷のきっかけ

 佐渡に帰ることになった直前まで、私はフリー(個人)のWEBデザイナーをしていた。
 常々、佐渡で働きたいという思いはありながらも、島には仕事がない。高校卒業後、半数以上の人々が進学や就職を求めて島を出て行くのが現状。そんな状況下で、WEBデザイナーの仕事がしたいといっても受入先がない。フリーといっても、田舎にとってデザインは二の次であり、まずは自分たちの生活。デザインの価値というものはそれほど高くない。需要がほとんどないのだ。
 そんな悶々とした日々が続くなか、ひとつの出会いがこの問題を解決することとなる。
 それは、地域情報化・活性化施策「佐渡、お笑い島計画」の発起人との出会いだった。「佐渡、お笑い島計画」とは、佐渡に半年間お笑い芸人が滞在し、島を笑いの力で元気にしようというプロジェクトである。インターネットでその施策の発起人である株式会社うぶすな社長・吉井靖氏と出会い、その施策に共感。佐渡の情報発信をやろうとしていた私の思いにドカーンッときたのだ。そして、この施策にWEBデザイナーとして参加することをきっかけに、佐渡へUターンすることとなった。

島での生活、佐渡での日々

 佐渡で働き始めて、東京との一番の違いは「終電がない」ということ。佐渡には電車がない。これは仕事をする上で本当に困る。終電がない=仕事に終わりがない、ということ。なので、東京にいる時と仕事の時間があまり変わっていない??(むしろそれ以上!?)と思ってしまう。
 しかし、佐渡にはまだまだ自然がある。これが佐渡に帰ってきた大きな要因でもあり、ちょっとした休憩に心を癒してくれる存在。餌(タネ)を食べに来る鳥の姿や鳴き声、木々の芽吹き、広い空...。パソコンに向かう時間が多い中で、自分が人として生きていることを実感させてくれるこの環境は何物にも変えがたい。
 仕事以外の時間には、屋外で過ごすことが増えた。東京に住んでいる時にはできなかった農業を始めたのだ。といっても、まだまだ本格的にはできないので、米作りは実家の手伝い、農作物は本を見たり教えてもらいながらの実践。

初めて育てたさつまいもの収穫。小さいが味は格別!
初めて育てたさつまいもの収穫。小さいが味は格別!


 野菜を収穫してはその日の食卓で食べるという、昔は当たり前だった生活がとても新鮮なものに感じる。それに加えて、自分で育てた野菜がこんなにも美味しく感じるとは...! 完璧に農業にはまってしまった。

地域資源に目を向ける

 佐渡に帰ってきてから自然と触れ合う機会が増え、いろいろなものに興味を持つようになった。
 例えば竹。最初は仕事で関わっていたが、島内各地の竹工芸品を目にするうちにその魅力に惹かれていった。佐渡には竹林が多い。昔からその竹を使った家庭用具、工芸品が多く作られている。しかし、時代の流れとともにその需要も減り、今では作り手がほとんどいない。職人も高齢となり、担い手もいないことから、その技術は引き継がれることなく、このままではなくなってしまうのではないかと懸念される。
 また、人の入ることのなくなった竹林は荒れる一方。誰かが竹林の整備をしなければ駄目になってしまうだろう。そんな竹林をどうにかしようと、地域住民が立ち上がっているところもある。

岩首地区の廃校を利用した岩首談義所で開催された竹灯篭の集い。
岩首地区の廃校を利用した岩首談義所で開催された竹灯篭の集い。


 やはり資源には限りがある。地元の人が目を向け、どうにかしようと思わなければ、今ある多くの資源もいずれはなくなってしまうだろう。

自分にできること

 ITという技術を身につけて帰ってきたいま、自分が佐渡のためにできること、それは「情報発信」だと思っている。地域資源をいかし、佐渡の自然・モノ・人すべての魅力を多くの人に知ってもらうため、その「ルートづくり」が今の目標だ。
 一人ひとりが今自分にできることをする。自分ができないところはできる人が補う。そうすれば、今までなかった道がまたひとつ増える!多くの人に「佐渡」を伝えていこう!

アートという視点で...

 佐渡には芸術家が多く存在する。歴史に名を残すような著名人から、現在も佐渡の土を使った無名異焼(むみょういやき)を作る陶芸家や、佐渡の竹を使った竹工芸品を作る職人など多種に渡る。
 私はアートについてあまり詳しくない。だが、佐渡の芸術家たちが眼にしてきた佐渡の風景は、この地で一番のアートではないかと思う。そしてそれが、佐渡に多くの芸術家が生まれ、また集まってくる理由にもなっているのではないか...と。あくまで個人的な憶測である。

国仲平野へと続く、緩やかな段々田んぼ。
国仲平野へと続く、緩やかな段々田んぼ。


 いつの日か佐渡全域を会場にした芸術祭が開かれたら、想像以上のおもしろいイベントになるだろう。
 また、それも佐渡で生活していく中で実現させたい夢の一つだ!

(2009年1月26日)

今後の予定

ITを利用した佐渡の情報配信を行い、佐渡の新しい産業を造るべく奮闘中。
佐渡へI・Uターンされる方、お声掛けください。

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

 YAMATOさん
 お疲れ様でーす。スマイルの金子です!
 YAMATOさんの魂のこもった歌、いつもオフィスで聞いております!

 新曲の【朱鷺色の島〜ふたたび〜】はまだ聞く機会がないですが、いまから楽しみにしております。
 佐渡に戻られた際にはお気軽にオフィスにお立ち寄りくださいませ!

 これからもよろしくお願いしまーす!
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