世界は田舎の集合
街かど美術館、アート@つちざわ<土澤>の具体的な内容については前回のリレーコラム、武政文彦氏の文章を読んでいただいているという前提で、私は私の感じていることを書くことにしたい。
アート@つちざわ<土澤>はアナーキーで猥雑なエネルギーに満ちているらしい。
そのことはなかなか当事者たちには自覚しづらい現象なのだが、参加者たちの感想を総合すると、そのエネルギーがなかなか他では得られない貴重な観客との関係経験として認識されている。
これは大変な財産なのだと思う。それはどういうところからきているのだろう。
そしてこの展覧会の意味とはいったいなんなのだろう。
田舎の自由な空間と組織
大きな河もちっぽけな泉の一滴から始まるというが、揚子江の河口へ行ってあの泉の一滴はどれだ?と叫んだところでボラの一匹でもぽちゃんとはねてしぶきをあげるのか。
揚子江の河口が東京だとすれば、そう、ここは泉の一滴がきらりと光る田舎なのだ。
誰もがここでは一人としていられる。田舎は逆に思われているかもしれないが、実はとてつもなく自由な空間なのだ。
本来人はコミュニケーションの文化で暮らしているのだから、そのコミュニケーションをこうした共同空間にソフトランディングさせるための、知恵が「結い」のような習慣になって現れているのだとも思う。
その濃密なコミュニケーションの場所である田舎の街のアート@つちざわ<土澤>が、泉の滴として芸術活動の発信場所として参加者と観客に認められるならば、このコミュニケーション能力は大きな財産になると思う。
世界はあちこちの泉でもある田舎の集合体なのだから、実体としての社会は田舎の方が新鮮で生々しいのは当たり前の話だ。
その田舎の人間関係、あるいは何度も繰り返すが、コミュニケーションの中で実に活き活きと動いたのが「街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>」だった。
新しい価値基準を作ろう
何が都会へ人を集めさせるのかといえば経済にほかならない。
経済こそ最も公平な価値基準であり対価の報酬は想像力を刺激する触媒であるはずだったけれど、極度に進化した経済システムは本来の機能をはるかに超えてしまい、別の生き物として世界を動かしている。
それでは田舎では公平な価値基準たる評価がないか?
ないんだなぁ、これが。
評価しようにもそこまで行くための経済が不足しているのだから。
でも、経済としての評価から離れてみれば話は別だ。
「田舎に決定的に不足しているのは批評だ」といった人があるけれど、それならば、経済ではない批評を、あるいは価値の基準となる評価を作ることができれば、経済の持つ評価機能に変われるのではないだろうか。
もう一つの評価のしかたは、ここから「発信」してそれが情報化するということだろう。
それがうまく機能すれば、経済が人を集める力になっているように、評価という情報が人を集める機能を産む力になるのではないだろうか。
芸術活動も精神活動もそれを共有するコミュニケーション活動を必ず伴う。
そのコミュニケーション活動の大きな翼を形成しているのが「アート」の役目ではないだろうか。
そのためにも「アート」を発信することが新しい価値を作り出すのだと信じている。
(2008年6月20日)
今後の予定
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街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>」カタログ
私たちのやってきた「街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>」 を記録したカタログもまた、私たちの汗の結晶だと思っています。
写真の撮影から編集、レイアウトまでみんなで検討しあって、あれがダメ、これもダメともっとわかりやすい文章と編集をめざしてすったもんだの連続でした。
展覧会の終了後から約4か月の後にようやくでき上がった1冊を見たときには、どすんと肩の荷物が落っこちた思いもしました。
しかし、それだけの苦労もした甲斐があって、展覧会の記録がどれほど大事なことかを読んだ人からの反応を見るたびに実感させられるのです。
ご希望の方は萬鉄五郎記念美術館 0468-42-4405 まで電話で問い合わせてください。
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
だいたい、垣根なんていうものはあると思えばあるのだろうし、ないと思えばないんだろうと思います。
見えないだけに手ごわいのかもしれないですね。
何だか脅かしているのか、励ましているのかわからないメッセージ でした。。