天にとどく声
アイヌ民族、アイヌ人、アイヌの人々、先住民族アイヌ、最近さまざまなメディアやマスコミ、インターネットなどで、少しは聞かれるようになった言葉の指すところに、私は含まれていると自覚する人間だ。今、アイヌは自分たちの文化を広く国民に紹介する事業にたくさんの同胞が取り組んでいる。それが一番民族理解に繋がるし生活者として必要なことでもある。私も儀式や古式舞踊伝承に取り組んできた。
阿寒湖温泉は東北海道のほぼ中央に位置し、阿寒湖を囲む原生林に囲まれた観光地だ。生まれてからずっと、ここに住んでいる。今まで47年生きているが人間になって約27年だ。20才まではとても人間とは言いがたい、子どもすぎていて、何も知らないし経験も無い、それなのにやたらと自信過剰でその根拠は恐ろしいほどの思い込みによっていた。だから今現在、私は27歳のアンちゃん子なのである。そのアンちゃんに大きな責任と災いが降りかかったのは、5年前だ。わが村、私が住む村は、地元では部落あるいはアイヌ部落と呼ぶ。世間では差別用語であるらしい。だが平気で呼び呼ばれるこの村にある300人入る劇場の新メニュー、ユーカラ劇を指揮しろというのだ。劇場では年中古式舞踊を披露している。主催は阿寒アイヌ工芸協同組合、部落32軒のお土産屋が作る事業協同組合だ。劇場の公演をマグネットにお土産屋が商売するわけだ。その新しい出し物の演出?
わずかな経験はあるにはあった。それは部落に40年歴史ある「ユーカラ座」やアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」に出たこと、イベントでわずかなシーンにアイヌ踊りを振りつけたことぐらいである。ホントに俺が? 大丈夫?...............。
チラシ ■阿寒アイヌ工芸協同組合 画像をクリックするとダウンロードできます。(PDF : 8.4MB) |
一応断っておくがユーカラ劇とユーカラ座は別物である。ユーカラ劇は商売を旨とする組合と大手のホテルが不景気に困って、イヤ打開策として考え出した、新メニューだ。
一方ユーカラ座は40年来アイヌの口伝えの叙事詩物語を舞台化した由緒ある文化団体であり好評を博してフランスまで行って大変うけたという実績がある団体だ。今度の出し物の中身はノウハウやユーカラという叙事詩を素材に舞台化しているところは座の伝統と経験によるところが大きい。なぜなら?! その会員はほとんど同じ人間によって構成されている、どちらも部落内の組織だからだ。私も座に名を連ねているから出演したわけだ。
座の公演は不定期で要請があって条件が合えば実施される。一方組合のユーカラ劇は、シーズン中毎日の定期公演をめざす。一般の演劇公演と大きく違うところがある。たまたま阿寒湖温泉に宿泊した観光客に観覧してもらう企画である。それは演劇好きではない人にも見てもらわなくてはならないことを意味している。そして評判をとりペイしなくてはならない。出演者に演劇経験のある者がほとんどいない、劇場では毎日アイヌに伝わる伝統芸能を披露しているので、演劇経験は必要ないのである。かつてフランスで受けたのは30年も昔で当時の舞台を踏んだ者はわずかの人しかいない。
そんな状況で舞台を作る?! 俺が? できるか? セリフは座の頃からやったことがない、座の舞台はほとんど無言劇だった。セリフを言える者がいなかったし演出趣向がそうだった。
だから組合の舞踊手もセリフはやれない、演劇としての基礎もない、これから演出しようとする私も経験が少ない。断言する「やばい!」。おまけに動けない、舞台で動くとは演技もすることだ。さらにこれから一緒に舞台を作ろうとする人たちは好きで舞台に立ちたい人ではないのだ。
伝統舞踊は子どもの頃から、あるいはお嫁にきてから覚え、生活のために劇場に出演しているので役者をしたくて組合に働く人たちではないのだ。基本として舞台に立つ者としての自覚は無い。解らない、セリフをいえない、動けない、の三重苦である。もし成功したら「奇跡の詩」だよね。
「ウオホホホホー」----アイヌの男が天に住まう神にとどく声として独特の叫びに似たものがある、自分に危機が迫って仲間に知らせる時、あるいは仲間に危機が迫っている時、また山で無事羆をしとめて村に近づきいち早く知らせたい時など発するものだが、舞踊でも舞台でも効果的な使い方がしやすく多用している。その声に後押しされながら引き受けてしまった。20代までの無謀な自信、根拠の無いうぬぼれ病は40歳過ぎても完治していなかったようで、再発、周りの心配をよそに脚本、演出を買ってでた。しかし勝算がまったく無いわけではなかった。
アイヌ伝統の文化に慣れ親しんでいる普段の生活臭、所作、儀式に対する謙虚な立ち振る舞い、舞踊それらを基盤に組み上げていけば何とかなる。そして光と音、特に音にはこだわった。音楽はモシリ詞曲舞踊団が提供してくれている音楽だから、レベルは高いしアイヌの舞台にピッタリだ。私は映画好きである。さらに予算があることをいいことに5.1チャンネルの音響システムを導入。観客席を動く音で包み込もうとする魂胆である。三重苦をそれらの効果でカバーしようとした。それならうまくいく。そう踏んだ。
セルフは最初からアテレコで、役者はクチパク、声優は尾田さんが所属する釧路演劇集団に依頼。5.1チャンネルの仕込みははるばる東京のスタジオで作った。抜群のしあがりだった。縁を頼りに他力本願よろしく計画はとんとん拍子に行く予定が、足元からどんどん崩れていく。部落の諸先輩からの厳しいバッシング、なぜお前が舵取りをするのか? 予算を勝手に懐にしているのでは? 観光客の入り込み予測は? 5.1チャンネルって何だ? そこまで必要なのか? などなどいろいろあるもんだ。しかし一部を除いて相談に乗って答えをくれる人もいなく出航した船は、港に戻ることもできないほど沖に流されていた。ままよ、こうなったら目的地に着くまで死に物狂いで漕ぎつづけるしかない。ダブル演出となった先輩とは意見が合わずたびたび座礁する。それでも頑固者同士の和解はある。このままでは沈むから。泣き言もいえない船長二人は、「船頭多くして、船、山に登る」の轍を踏むことだけは避けられたようで、なんとかプレ公演に間に合った。全国から旅行エージェントの北海道担当者まで集めての大々的なキャンペーンだが、結果いまいち。アイヌ浄瑠璃の可能性は見えたものの、お客様を満足させ集客力に繋がるほどの内容ではない。
やっちゃった! 勝算は誤算に代わった。早急に変更、眠れない日が続く、不安で食欲も無い、バッシングは続く。プレ公演から約一か月、少しはましになった。救われたのは、役者のみんなの情熱。パワー全開の舞台は脚本演出の力不足をカバーしてくれ、見るものを圧倒した。音と光でカバーする予定がまったく逆になったのである。反省と共にヤイライケレ「ありがとう」。
2年目からは大幅に内容変更、役者自らの申し出で、セリフの練習導入。ここでまた釧路演劇集団にお願い。徐々に台本を書き換え今ではほとんどを生セリフに、なかなかと本人たちはご満悦。5年目の今では毎日のアンケートが楽しみに。書いてくれた人の90パーセントはよかったと。しかし、黙って帰った方、アンケートを書きたくなかった人たちも少なからずいたはずであるのでそのまま鵜呑みにはできないが、指摘とともに書いてくれた意見を参考に、ますます磨きをかけている今日である。みんなは毎日ストレッチをし、発声練習もし、稽古に励んでいる。奇跡の詩だ! 名前も「座・ユーカラ」と改名した。劇だけではなく違った出し物、パフォーマンスにしてもいいようにと考えてのことだった。来年は何にしようか?
自分の力不足の反省から勉強したいと考えていたところへ、吉良平治郎の脚本製作のお誘いだ。尾田さんと中村先生(演劇の先生)との共同執筆。よし、勉強だ! 私は喜んだ!
アイヌの神様はいつも私を気遣ってくれているようで、実にタイミングよく必要な時に必要な人との縁を取り持ってくれる。いろいろなことが二人から学べた。これからもアイヌ浄瑠璃をめざして舞台を作ろうと考えているが、組合とは限らない。今度は慎重に。でもいずれはアイヌが自ら書いた脚本で映画を作りたいと願っている。また再発するのか?!
28年目のアンちゃんは「ウオホホホホー」今日も叫んでいる。アイヌの声は天にとどくか?!
(2007年9月20日)
アイヌ英雄叙事詩<ユーカラ劇>公演写真
「天駆ける英雄の物語」
アイヌ民族に古くから伝えられてきた口承文学「ユーカラ」の中から、阿寒地方に伝わる英雄伝説を基に創作された舞台。
天上の国で暴れ回る魔物に立ち向かう英雄ポンオタスツゥンクル。天上で繰り広げられる壮絶な神々の戦い。
不安な村 |
戦士 |
戦いに行く英雄 |
宝刀を抜いた瞬間 |
村人の喜び |
終演の挨拶 |
今後の予定
今、阿寒湖アイヌコタン(村)の改革に尽力していて、将来アイヌ民族村の実現に向け準備しています。
関連リンク
おすすめ!
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
デンバーへインデァンとの交流に行ったのが
昨日のことのように思い出されます。
ヤジさんキタさんよろしく楽しい旅が二人の出会いでしたね。
ステップ・バイ・ステップが志朗ちゃんで、
俺がケース・バイ・ケースと言ってアメリカの関係者を笑わせたね。
今でも同じでまじめなあなたを友人に持って
うれしく思っています。 スイウヌカラアンナー