視界 0m からのはじまり 別府温泉熱の噴気のなか
正直、なんで?
2004年の秋、別府の路地裏、まちのみんなでつくった会場でやっと成就したイベントの真最中、見慣れない着信番号が?電話をとれば、日本にはいないと思っていた人からの電話。
「別府を舞台にちょっとしたいことがある。話したいんだけど」
海外が長いと方言を忘れがち、その話し方の違和感と"何かいやな予感"が耳に残った。
別府の湯けむり展望台 |
直感はあたった。彼は"アート"というものを別府でやりたいと言うのだ。だとしても--なんで別府なのか?かつての別府ならわかる。昭和の時代、別府のまちは、ネオンの中いい具合に酔っ払った浴衣姿の観光客、蟻の大群のような修学旅行生の人だかりでにぎわい、商店街の店は、天井からぶら下がっているザル籠からお金がいつも溢れだしていた。人気キャバレーの女性たちの美しさは格別で毎日が花魁道中みたいで華やかだった。みんな元気よく、よく働いた。そしてそんなみんなの共通の時間。まち中どこにでもある銭湯。行けばだれかが体をすってくれた。まちの宝、温泉。このまちでは、みんな、どなたこなたも一緒にお風呂に入る。裸にならないとお湯につかれない。裸になったらみないっしょ。どこのだれ?関係ない。だれが偉い?そんなのどうでもいいこと。お湯につかればみんな同じだった。みんな同じ湯船でその日の疲れをとって救われた。ここでなら何をしても成功する。別府が持つ可能性は湧き出る温泉のように無限だとだれもが信じていた。だが、今はまったく違う。平成になって別府に戻って来た私は自分の目を疑った。自分が見ているものがあの別府なのかと愕然とした。人が消えた。観光客だけじゃない、駅に港に旗もって出迎える番頭さんも。商店街のシャッターはほとんど閉じている。まちは死んだようになっていた。何が起こったのか、宇宙人が来てこのまちの人をさらっていったのかとさえ思ったりもした。別府は終わったと言う人さえいた。
そんなまちに、なんで"アート"?
日本も豊かになったんだなー。いやいや、感心している場合じゃない。企業誘致、観光施設の拡大ならわかる。けど、"アート"は困る。あれはやっかいだ。別府では、泉源が枯れて困っている、年金がもっと欲しいとかみんなからよく聞く声だが、「"アート"がなくて困っている」、「"アート"がまちに欲しくてしょうがない」なんて声はいまだかつてだれの口からも聞いたことがない。第一、衰退気味とはいえ温泉、観光、商売で日銭を稼いでなんぼのまち別府にアートは似合わない。まず、アートって何?それっていくら儲かるの?商売人たちが聞いてくるだろう。それを応援して自分に票が集まるのか?政治家たちは聞いてくるだろう。確実な答えなど何一つ無い。
困った。本当に困った。ただ、もっとすごく困ったことは、じゃあ"アート"を完全に私たちに"いらないもの"と否定できるか。これに何の可能性も感じていないと言い切り、拒否するべきなのか。キリシタンたちがどういう気持ちで踏み絵の前に立っていたのだろうとか考えたりもした。アートって、アートな人たちの共有する知識、価値観の中だけで成立させた方が絶対上手にできるに決まっている。私はアートな人でない。アートというものがまちに入ってくる必然性をまちの人にどう伝えるかその言葉も術も正直私はまったく知らない。
やるの? やらないの?
やらないとは言ってないけど。という言葉がやるということになった。何をやるのかもわかってないのにまったく私はいい加減だ。でもやると決めたらラテン系別府人の素質をフルに発揮してまち中の人に声をかけた。「悪いことをしようとしていない、ただ何かをしようとは思っている」。みんな私の話を首をかしげて聞いてくれた。幸いにも私は別府に戻って十余年、まちのみんなとは、このまちを人を元気にする活動をやわいものからかたいもの、美しいものからドロドロなものまでずっと一緒にさせていただいてきた。その中で生まれた「つながり」、これだけが私の持っているもので大切なもの。このまちに思いを寄せる損得に疎い貴重な人たち。美容師、プログラマー、旅館組合事務員、主婦、学生(美術系皆無)、会社員、ホテル社長、バーテンダー、公務員、ニートなどありとあらゆる素人軍団がみごと集まりました。そして、この仲間の総称を2005年の春、「BEPPU PROJECT」と名づけました。そんな私たちの活動は、AAF(アサヒ・アート・フェスティバル)の参加をきっかけに"アート"といわれているというものに対し準備運動なし、何の道具も持たないまま向かいあうこととなりました。
見たこともないもの、聞いたこともないもの、経験したことの"ないもの"だらけと出会い、それを人に伝え、やり抜くということは、大変だと想像はしていましたが、その想像をはるかに超える大変なものでした。アートと向かい合うには、知識、経験が大事と言われましたが、BEPPU PROJECTは、まず体力、最後には生命力だと誰か言っていました。みんな仕事持っているので限られた時間しかない。何がいいのか悪いのか評価基準さえもない。あったのは勢いだけだった。その勢いは、自発的なものとは違った。似た経験を思い出した。何年か前、熱い国からきた子どもたちに雪を見せようとスキーに連れて行った時のこと。知らずに私がみんなを乗せたのは上級者コースのリフト。その日は吹雪いていて視界は0m。自分たちの到着点がどれだけの急な斜面の下にあるかまったく見えない。とにかく下に行けばいいはずと一歩踏み込んだとたん、いきなり自分の意志とは関係なくすごい勢いで暴走する板。止めたくてハの字にしようとするがコントロールできるほどの脚筋もない。体感速度280k/m。死ぬのか死ぬのかー。助けてーと叫んでいる声がする。無理だ、みんな同じ状態になっている。がんばれー、死ぬなよー。心の中でつぶやいた。半分以上は背中とお尻で滑ったがなんとか、無事到着した。自分たちにおこったことがなんだったのか把握できないでいた。みんな仰向けの状態だった。雪だらけ、あれほど怖い経験をしたのに不思議、みんな大笑いをした。そのとき目に入ってきた空がすごくキレイだったのは覚えている。身の程知らずの無謀な挑戦がないと世の中前に進まないこともあるとテレビでだれかが言うのを聞いて少し自信が出た。
勢いすべてがうまくいくばかりでありません。極寒、雨の降るなかみんなに喜んでもらいたい一心で連日野外作業をし、やっと迎えたイベント当日は無惨にも大雨。そのまま撤収。自然との戦いもあります。ハードルの高い交渉--寒い夜ストリップ劇場との交渉--気合いを入れて書いた企画書が入り口に立ちはばかる客引きのお兄さんに0.1秒で隣のストーブの上に置かれた瞬間、体が硬直。伝えたい言葉が口から出てこない。「助けて下さい」とのメール。駆けつけるとみんな道の上でかさ地蔵のよう、頭には雪がもっこり積もっていた。まちとのコミュニケーションもマニュアルがまったくない。私たちのような非効率な団体は伝わらないことで起こりうる痛手が怖い。それでも個々が自分のミッションに主体的に一生懸命向かいあっている。資金的な面も含めて私たちの向かう道は決して楽な道ではありません。全員ボランティアです。特に学生はお金も足もありません。疲れて果て事務所の床に空腹で倒れているスタッフを見て一回でいい、みんなにおなかいっぱいご飯を食べさせたいといつも思います。アートより飯を!当然の母心です。でも、みんなどうしてそこまでしてやるのか?過酷な試練ばかり。本当に納得しているのか?不思議なことに、だれもあきらめません。倒されても、倒されても生き生き元気です。高揚感(温泉効果も)でほっぺがテカテカです。たぶん、みんなどんなプロセスであれ、どんなに不格好であれ、自分の到着地点に辿りつきたいのです。苦しさよりも自分が今していることから生まれる何かにドキドキわくわくしているのです。あの見えないものに向かえるエネルギーには感服する。はっきり言ってみんなばかなのかもしれません。
アートを信じているのか?
アートフォーラムの最後に、「BEPPU PROJECTは2008年に別府を舞台に国際現代芸術フェスティバルを開催する」という宣言をしてしまった。どうやって?何のために?何もかも未定なのにこんな宣言するなんて無謀すぎる。
「全国アートNPOフォーラムin別府」 日程:2006年11月24日(金)〜26日(日) 会場:別府市内各所 2008年、再び別府で会う約束をした。 |
じゃあ、わからないから何もしない、わからないからやめるのか...わからないから・・・
わからないからやるんじゃないか。やってみなきゃわからない。
こんなことしている場合じゃないと思うが、まったくもってこんなことしている場合だとも思う。
そんなに私はアートを信じているのか?正直、私はアートを信じているとは言い切れない。
SOHOのギャラリーで、人がアートを楽しみ、そのドアの外には死にそうなホームレスがごろごろ横たわる。ドアのなかではゲームのように"アート"に億単位の金をかけ、ドアの外の"人の命"は無に等しい扱いをする。私はその共存状態が消化できず、アートというものに、あの、いつもの、一部の人たちの自己満足の世界だと険悪感さえ感じていた。
じゃあ何を信じているのか?
今、小さなところでは自分のまわり、大きなところでは世界のあらゆるところで、人間の持つ悪いエネルギーの凄まじさ、残酷さ、人を苦しめたり、傷つけたり、憎みあったり、あげくの果てには大切な命まで奪ったりと、悔しいけど、悲しいけど、人の悪いエネルギーがいっぱい充満している気がする。人類有史以来の普遍的な課題だとあきらめるのか、自分さえよければいいと知らん顔するべきか。地球、日本国の小さなまちの片隅で悩む。
そこで私は、人間の持っている、よいエネルギーの可能性を信じることに決めた。
そしてそれがアートというものに出会って誘発されるきっかけになるというのなら、アートというものを信じたい。これは体験した人のそれぞれ個々のなかで起こることで、享受する側はみんな違うバックグラウンドを持っており、そこにはシナリオも約束もない。BEPPU PROJECTもそうであるように、そこで何が生まれるのか予言不可能です。
でも、もしだれも何もしなければだれもこのエネルギーに触れる機会に出会うことさえないのです。何で自分がこんなことをするはめになったんだとはもう思いません。自分の導かれたミッションを光栄に思います。楽観的な解釈もあります。別府なら、この大地なら、その"アート"というものを受け入れる器があるのではないかと思うのです。
幸いにもこのまちのポテンシャルは残っています。
別府の大地から湧く温泉は、何千年も絶え間なく、どんな人にもやさしく、拒んだり、隔てることなく、万人を無制限に無条件で体と心を大地の恵みで包み、よいエネルギーを与えてきた。そんな大地の力を信じています。いつも暖かく見守ってくれる母なる大地に甘えよう。
人がよいエネルギーを生むために、
2008年
BEPPUに会って、"アート"に会って、自分に会ってください。
人の持つ よいエネルギー・ムーブメント の証人に一緒になってください。
まだ見えぬもの、今から出会うもの、"未来"を楽しみにしています。
そのためにも、非効率、素人軍団 BEPPU PROJECT その日まで生命力フル活動で日々精進してまいります!
ゆっくりお湯に、"アート"につかりに、ぜひ、別府に来てください。
このまちにいるだけで何かと出会えるように楽しい仕掛けをいっぱいつくっておきます。
以上、現場からでした。
≪BEPPU PROJECT 活動の軌跡≫
「+ Please Send Junk Food」 日程:2005年8月6日(土) 会場:別府ブルーバード映画館 別府に残る唯一の映画館での指輪ホテルによる公演。BEPPU PROJECT初めての異次元体験記念日。観客と女優が熱く交ざりあった夜だった。 |
「PROJECT No.11」 会期:2005年8月22日(月)〜9月30日(金) 場所:別府市内全域 あなたの大切な場所はどこですか一人一人の大切な場所そしてその物語。 |
「TABLE #1 まちとアートのえんむすび」 日程:2005年8月27日(土) 会場:竹瓦温泉2F、元町公民館 まちのシンボル竹瓦温泉、2階の公民館。なぜ、まちにアートなのか?アートと詐欺の見分け方を教えてくれと会場から質問が。 |
「TABLE #2 美術と教育」 日程:2005年11月12日(土) 会場:大分国際交流会館 格闘技を思わせる会場設定。話し手はリングの上。DJ+VJ入り交じり二人のトークバトルに観客は興奮した。 |
「昭和40年会はお熱いのがお好き」 日時:2005年12月25日(日) 会場:A級別府劇場 日本が誇るアーティストと現役ストリッパーとの夢の狂宴。 |
「BEPPU PROJECT in KANDADA」 会期:2006年3月7日(火)〜3月26日(日) ■オープニングクラブイベント(3月7日) 会場:プロジェクトスペースKANDADA 出張展覧会。映像と音楽と空間を楽しむクラブイベントを開催。 |
「TABLE #3 まちの力」 日時:2006年6月10日(土)15:00〜22:30 会場:別府市国際通りソルパセオ〜路地裏散策〜喫茶しんがい 講演は開始から最後の会場までたどりつくのに6時間以上は経っていた。だれも帰ろうとはしなかった。 |
「+ IMAGINED COMMUNITIES_Harp On Mouth Sextet tour」 日時:2006年6月24日(土) 会場:Dining Bar SPEY SIDE 日本雅楽と電子音楽の実験的音楽イベント |
「2006 #1 アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」 期間:2006年7月23日(日)〜9月26日(火) 滞在先:オンパク・ハウス 2名のレジデンスアーティストがこの町に滞在し、別府の音を音源に音楽を作成。市民とのワークショップも。 |
「宮島達男展 "Counter Voice in the Earth"」 |
「宮島達男展 "Counter Voice in the Earth"」 会期:2006年11月3日(金)〜12月3日(日) 会場:オンパク・ハウス 生と死の体験。温泉泥から伝わる大地の力に圧倒。 |
「ストリートプロジェクト '06」 会期:2006年11月20日(月)〜12月3日(日) 会場:竹瓦温泉横丁、銀座裏通り、梅園通り周辺 まちに飛び出したアート。路地裏のあちらこちらにアートが出現。 |
(2007年1月23日)
今後の予定
別府市内の路地が持つ記憶を紹介するガイドブック。まちの散策者の想像力を刺激するガイドブック。できあがったらみんなでまちを散歩するのが楽しみです。
■AAF学校 イン 別府
別府の温泉旅館でAAF学校を開催します。湯治場のメッカである鉄輪温泉の旅館を貸し切ります。24時間いつでもお湯につかれる勉強会です。みなさまぜひご参加ください。
■2007 BEPPU PROJECT 勉強会
BEPPU PROJECTのみんなとベニス・ビエンナーレ、ドクメンタ12、ミュンスター彫刻プロジェクトの視察ツアー計画中。2008に向けて国際芸術フェスティバルを開催するなんて宣言したが、スタッフの誰もアートの国際展を見たことがない。どころかその存在すら知らなかった。特にドクメンタは10年に一度。世界の最高峰の展覧会を見ておきたい。
■2008年 国際現代芸術フェスティバル
内容未定。このフェスティバルは、私たちと志を同じくするさまざまな団体と、地域や分野を超えて協働する意志のもとに運営・開催される。
■2018年 BEPPU PROJECT主催
月旅行
清掃ボランティア活動(予定)。アームストロング船長が月面にさした星条旗を抜いてその穴をちゃんと埋めて帰りたいと思っております(ハリウッド特殊映像でなかった場合)。これは私にとって小さな一歩ですが、人類にとっては大きな一歩になるのではと思ったりします。
関連リンク
おすすめ!
別府には八湯エリアに数えきれないほどの温泉があるのですが、秘湯が3つあります。ほんとはあまり教えてはいかんと言われているのですが、大サービス!
鶴の湯、蛇ん湯、鍋山の湯。
大自然に浸れる温泉です。
どれもちょっと山の中にあり、たどり着くまでがかなりワイルドな道を行くのですが、最高に気持ちいいですよ。
歓楽街もいいですが、この3つの秘湯は別府に来たらぜひ体験してほしいです。
ただし、すごーくオープンな心構えが必要です。(現地にてこの意味確認必要)
・地獄蒸しプリン
別府の地熱噴気の蒸気を利用してつくったプリン。自然の力で作られているので自然の味がする。温泉のミネラルとか入ってると思う。カラメルの苦みも相性最高。ちょっと地獄熱の荒々しさを感じさせるプリン。あっと言う間にペロッと食べてしまいます。
・B級グルメツアー
別府の路地裏には見た目はきったないけど安くておいしいお店がいっぱいあります。一見さんが入りにくいわかりにくいお店を紹介するツアー。アートもいいけど、人はお腹が満たされると幸せになるのは万国共通。関アジ、関サバ、ふぐもいいけど、このB級グルメもかなりレベル高いものばかりです。
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
実は、公演決定してから期待と裏腹。スタッフはコンテンポラリーダンスというものを人に伝えるということに苦労していました。その時、みんなに観に来てもらえなければ、「佐東の親分」という怖い人がやってきてこのまちの娘はみんなさらわれてしまう。とウソつきました。でも、それからチケットがドンドン売れて、、、。打ち上げのときは、本当にみんないい顔してましたねー(ホッとしたのかも?)。
また、2008年、別府でお会いできたら、うれしいです。