ワークショップはだれのもの?
どこもかしこもワークショップばやりである。アートワークショップに限ってみても、美術館や劇場など、いわばアートの本拠地で実施されるものから、学校、病院、福祉施設などさまざまな社会機能の場所で実施される(しばしばこれはアウトリーチと呼ばれる)ものまで、対象も、子ども、大人、高齢者、障害者、入院患者などから、アーティストやそれをめざす人たち向けまで、さまざまなワークショップがある。
一方、ワークショップはアートの専売特許ではない。むしろ、他の分野のほうが、より普及しているかもしれない。例えば、まちづくりワークショップ。公園を設置するときに、行政が音頭をとって地域住民参加によるワークショップによってわがまちの公園を考えたり、地域活性化をめざしてまずは自分たちのまちを見直すためのまち歩きワークショップをしたり・・・。ほかにも、環境、医療、福祉などさまざまな分野でそれぞれの専門スタッフがワークショップを実施している。個人的には、環境問題とも絡めながらの動物園におけるワークショップの今後の展開など、とてもおもしろそうに見える。
かく言う私のNPOでも、昨年度1年間で、およそ160日間、ワークショップを実施した。そのほとんどが子どもを対象とした、プロのアーティストによるワークショップで、内訳は、半分が「エイジアス」(ASIAS=Artist's Studio In A School)と呼んでいる、主に公立小学校にアーティストが行って正課授業として実施するワークショップで、残りの半分が「ACTION!」と呼んでいる、東京・豊島区の廃校の中学校(にしすがも創造舎)を拠点にその地域の子どもたちを対象としたワークショップとなっている。また、これらはどれも、パッケージ化やプログラム化されたようなものではない、毎回いわば手づくりのワークショップなので、過去6年間の活動も合わせると、私ほど、さまざまなアーティストによる、さまざまな内容の子どもワークショップに立ち会っている人はそうそういないかもしれない。
親子のためのフリースペース「ギロンと探偵のいる2年1組」 |
美術家・さとうりささんによる「りさ部:バルーンといっしょにまちをあるこう」(ACTION!) |
だがしかし、である。それでも「ワークショップとは何か?」と問われると、私は明確に答えられない。非常に定義が難しいし、実際、「ワークショップ」という言葉からイメージするものは、人それぞれかなり違ったものなのではないだろうか。お役所的には、「体験講座」ならなんでもワークショップかもしれない。また、演劇ジャンルの人たちの多くは、共同で作品を創作するための手段やそのプロセスをイメージするかもしれない。ピアノやバレエのレッスンは、多くが、ある型を持ってそのテクニックを向上することを主眼としている限りにおいてワークショップとは呼ばないだろう、普通・・・。でも、コンテンポラリーダンスのワークショップでそれに近いものもあるような気がする・・・。
武蔵野美術大学教授の及部克人さんのお話をかつて伺ったときに、彼は確かワークショップのことを「ゆるやかな対話」とか「ゆるやかな関係づくり」という言葉で説明していて、私はとても納得した覚えがある。ワークショップにおいて、他者との関係は重要なポイントだ。それもタテの関係ではなくヨコの関係で、かつなにかに強制されるものではなく主体的で「ゆるやかな」関係(そこには関係がもてない、という関係も含む)。
では、ワークショップは必ず複数の構成員による共同作業で成立するのかというと、そうとも言えないだろう。ただ一人、「内なる自分」との対話を通じてなにかを表現する、あるいは表現されずともその行為自体、ワークショップと呼べそうな気がする。
ワークショップの定義にも関わることだが、では、「ワークショップはだれのものなのか?」。例えば、「子どものためのワークショップ」とよく言うが、大人が子どものために一方的に"提供"し、子どもが満足する、あるいは子どもの"ためになる"ワークショップという考え方は、私としてはちょっと違和感がある。エイジアスではいま、ある小学校で「ダンスで理科」というワークショップをやっている。理科の単元、教科書で学ぶこととリンクさせながら、振付家・ダンサーがワークショップをやるのだが、これも、100%子どもの理科学習のために、アーティストの技術・ノウハウを利用するとなると、それをワークショップと呼ぶのには抵抗がある。逆に、アーティストからの要望で、子どもの突飛なアイデアを出させるためだけに、ワークショップのようなことをするのも変だろう。
つまり、ワークショップは、ある一部の人たちが一方的な成果をあげるものであって欲しくない。ワークショップは「みんなのもの」であって欲しいし、「だれのものでもない」のである。言い換えれば、ワークショップでは可能な限り強者と弱者の関係を無くしたいのである。(だから、行政が言い訳的にワークショップで住民の意見を吸い上げ、施策に反映しました、みたいなことはあってほしくない。)ただ、実際、個々のワークショップでは、しばしば強弱、主従の関係性ができてしまう。その関係性を崩していく試行錯誤の過程こそ、ワークショップなのかもしれない。
と、ここまで書いてきて心配になってきたが、私をまるでワークショップ信奉者のように思われる方もいるのではないだろうか。決してそんなことはありません・・・。むしろ、最近、とにかくワークショップをやればいい、というようなワークショップ自体を目的化する風潮や、ただただワークショップを消費するようにプラグラム化する傾向には、私は非常に懸念している。ワークショップはあくまで手段であり、目的ではない。当然、場合によっては座学講義形式のほうがワークショップより適する場合もあるし、エイジアスでも、例えば港大尋さんという音楽家が授業をする場合には、1時間延々と子どもたちに語り続けてもらってもいいと私は思っている。(港さんの場合は、語りかけているだけでもまさにワークショップなのだが・・・)
音楽家・港大尋さんによるエイジアス授業 |
結局、ある行為(時間と空間)が、ワークショップかどうかが重要なのではなく、そこにいる人や自然や動物にとって、価値あることかどうかという、至極当たり前のことが大切なのである。
そのうえで、あえて言うなら、私がアートに可能性を感じるのは、いまの社会にあるさまざまな「壁」・・・コミュニティの壁、世代間の壁、ジャンルの壁、宗教間の壁、民族的な壁、障害の有無の壁、人と人との心理的な壁・・・など、さまざまな「壁」を軽やかに飛び越えるきっかけにアートがなるのではないか、ということ。その軽やかにそしてゆるゆると壁を越えていく手段として、ワークショップが有効なときがあるのではないだろうか。
(前回コラム執筆者の相馬千秋さんからのバトンタッチメッセージにぜんぜん応えていないことに気づきました。私がいまの仕事をするようになった経緯、きっかけは?とのことですが、なんとなく・・・というのが正直なところで、劇的な体験もなければ、ましてや社会的なミッションに燃えて・・・、なんてことは決してありません。蛇足でした。)
(2006年6月22日)
今後の予定
今年度約25校実施予定。教科学習とのリンク、障害児学級での授業、学芸会での舞台作品づくり等も予定。
【2006年度年間活動協賛企業/助成団体】
協賛:花王(株)、花王ハートポケット倶楽部、トヨタ自動車(株)、日本電気(株)、松下電器産業(株)、(株)ミナ(予定)
助成:(財)アサヒビール芸術文化財団
■ ギロンと探偵のいる2年1組(ACTION!親と子の教室の絵本)
絵本やおもちゃのある、親子のためのフリースペース。毎週土曜日オープン。
■ 音を楽しむワークショップ(同上)
7/8(土)。NHK教育テレビ「あいのて」に出演中の片岡祐介さん、尾引浩志さんによる親子WS。秋以降も継続実施予定。
■ らんぽと探偵ワークショップ(同上)
8月。豊島区ゆかりの江戸川乱歩の世界に親しむ。トリのマーク(通称)の山中正哉さんと柳澤明子さんによる親子WS。6回シリーズ。
■ Greeting Greens ~グリグリ~
植物+アート。校庭の畑でカボチャなどを栽培し地域住民が交流する通年プロジェクト。
■ NEC×ACTION!子どもとつくる舞台シリーズ Vol.5
9月。パーカッショニスト・石坂亥士さんと小学生が本格的なダンス&音楽作品を創作・公演。7/22(土)にはプレワークショップも実施。
■ アサヒ+ACTION!子どものいるまちかどシリーズ Vol.3
9~12月。現代美術作家・村井啓哲さんによる「庚申塚星座系編纂計画『ぼくらの星座で世界を包もう』(仮)」。小中学生が地域固有の星座図と早見盤を作る。
■トヨタ・子どもとアーティストの出会い
沖縄(NPO法人前島アートセンター)と札幌(NPO法人S-AIR)で進行中のプロジェクト等をサポート。
■その他
「子どもと向き合うおとなのためのアートワークショップ実践講座」やシンポジウム、児童館出前ワークショップ、親子のためのミニコンサートなど実施予定。