芸術文化で大学を地域に開いていく
初めての土地、初めての職場。住み慣れた福岡・九州を離れ、鳥取大学のスタッフとして鳥取へ移り住み、半年が過ぎた。いまだに知 人たちから、「島根はどう?」と聞かれるほど、鳥取は一般には印象が薄い土地だ。人口は47都道府県中、最少で61万人。2004年度の数字によれば、財政力指数は、全国で下から3番目。新幹線や高速道路などの交通基盤整備から取り残され、「陸の孤島」と地元の人も自嘲気味に語る。
しかしこの数年、「砂丘」以上に鳥取の知名度向上に貢献したのが、現在2期目を務める片山善博知事だろう。地方の自立を掲げる改革派知事として知られる。徹底した情報公開を中心に据えた県政改革は、県民と県職員の双方から高い支持を得ている。文化行政の分野でも独自の施策を展開している。例えば、行政の文化化には、芸術や文化を専門に学んだ職員が必要と、2002年から行政職に「文化芸術コース」枠を設け専門職員を毎年採用している。また、県内の芸術文化振興へむけた具体的な事業の企画立案や、県民文化会館などを運営する鳥取県文化振興財団の改革の一環として、「文化芸術デザイナー」を2002年9月に設けた。全国公募で選ばれたのが、文化政策研究者で演劇プロデューサーとしても日本各地で活動して来られた柴田英杞さん。国民文化祭を契機とした県の文化芸術振興事業のコーディネーター役として、横に長い鳥取県を東奔西走されている。箱ものの建設は見合わせ、芸術文化に携わる専門的な人材の登用や事業内容の充実に文化政策の重点がおかれているのである。
さて私が、「アートマネジメント」担当として所属しているのは、鳥取大学地域学部附属芸術文化センターである。地域の芸術文化振興に役立つ研究と教育を行う機関として構想され、2004年、地域学部の創設とともに設置された。地域学部は、教育学部の改組を経て生まれたもので、地域の発展を担うキーパーソンの育成が目標となっている。横浜市で長く文化行政に携わり活躍されて来た野田邦弘さんも、今春、地域学部の4学科のうち「地域文化学科」の教授として着任されたところ。こうした学部改組も、地域分権を進める鳥取県との協調が基盤となっており、芸術文化センターの事業や調査研究も県の文化観光局と連携して行うものが少なくない。
県からの委託「鳥取県内の文化芸術活動者調査」では、学校の芸術教育や文化部活動、県内で活躍するアーティストの活動状況の調査を進めている。新参者の私にとっては、鳥取の状況を把握するのに、またとない機会を与えてもらった感じだ。また、「鳥取県における芸術文化を通じた空間資源の利活用に関する調査研究」として、廃校や古民家・空き店舗など県内の低未利用空間を芸術文化活動の拠点として活用していく方策を検討中である。
事業としては、県主催「とっとりパフォーミングアーツ2005」で行われたコンテンポラリーダンスの公演に先立ち、アウトリーチの一環として、芸術文化センターを会場にレクチャー・シリーズを企画実施した。セッションハウスの伊藤孝さん、カンバセーションの前田圭蔵さん、ダンス評論の稲田奈緒美さんと、ややマニアックな人選になったのも、センターに「舞踊」を専門とする佐分利育代さんという教授がいらして、ご自身の活動を通じ多くのダンス愛好家と観客を育ててこられたという土壌があったからこそ。センター所属の先生方はいずれも、学部改組以前から、地域の方々と長らく文化活動を共にされてきている。その蓄積があってこそ、当センターの「地域の芸術文化振興」という目的は画餅ではなく真実味を増す。
センターの建物は、教育学部時代の音楽棟にあたり、一般向けの催しは、「アートプラザ」と名づけられた旧音楽講義室が会場となる。ギッシリいすを詰めれば、80人ほどがはいる小ホールである。もともと教室なので、劇場としてのしつらえには乏しいものの、予算をやりくりしながら、照明や音響設備をこつこつ揃えはじめたところである。文部省の基準で建てられた昭和40年代の大学校舎は実に味気なく無愛想で、地域の方々を迎え入れるには、入り口がわかりにくいなど動線もまずい。手づくりの看板を用意したり、演劇公演や美術展のポスターを貼ったりしているが、「芸術文化」センターらしい雰囲気づくりには、まだまだ知恵と工夫が必要だ。
センターの突き当たりにあるアートプラザ。声楽を専門とする助教授西岡千秋さんの企画で、モーツアルトの小さなオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」公演仕込み中。 |
8月、「パフォーミングアーツとっとり2005」で、東京に滞在する南アフリカ共和国出身のジャッキー・ジョブと日本人JOUのダンス公演を行った。写真はジャッキーによるダンスワークショップ。 |
セッションハウスの伊藤さんによるレクチャー「日本のダンスを定点観測する」。主催に代わって挨拶しているのは、鳥取の辣腕プロデューサー森本孝文さん。 |
センターが自前で予算を組んで行う事業「アートフォーラム」として、去る10月18日に、「土の詩(うた)〜漂泊と定着のせめぎあいから生まれる私の仕事」と題し、福岡県星野村在住の陶芸家山本源太さんをお招きし、お話を伺った。鳥取県出身で活躍されているので、陶芸や織物など手仕事に携わる方や同級生など、学外から大勢来場された。「鳥取大学の中に入ったのは初めて」という方が大半で、まずは、大学を地域に開く、そして芸術文化センターという組織の紹介という所期の目的は果たせたと思う。講演の後は、そのまま会場を使って、ワンコイン(500円)の交流会を定例化している。もちろんアルコール付き。一種の異業種交流のような状態で、大学のイメージを変えるには役立っているようだ。
山本源太さんの巧みな話しぶりと人柄に、会場も和やかな講演会となった。 |
今年度の「アートフォーラム」は、「手仕事と自然素材の復権」というテーマで、山本さんの回を含め計3回の開催を予定している。鳥取は、戦前から昭和40年代初めにかけて、柳宗悦による「民芸運動」の拠点のひとつだった歴史があり、今も現代の私たちの生活を豊かにする手仕事がいくつも営まれている。それは、「民芸のプロデューサー」を自他ともに認める吉田璋也(1898年~1972年)という耳鼻科医の功績で、鳥取の人ならば誰もがその名前を知っている。今年6月に米子市で文化経済学会大会が開催された際には、併せて「吉田璋也と鳥取の手仕事」という展示を鳥取県が開催した。研究の世界でも、柳宗悦と「民芸」の意義を再検討する議論がさかんになっており、その成果が相次いで出版されるほか、アジア雑貨や骨董ブームの影響なのか一般雑誌でも「民芸」の特集が続いている。鳥取固有の地域文化資源を再評価するという意味も含め、土や木、植物など自然素材と向き合いながら営まれる手仕事を、それぞれ違う角度から見つめ直す講演企画とした。第2回は、人類学者で柳宗悦研究も展開されている松井健氏(東京大学東洋文化研究所教授)、3回目は縄文建築団やヤバンギャルド建築を標榜する異色の建築家藤森照信氏(東京大学生産技術研究所教授)という独自のラインナップである。
鳥取暮らしの最大の魅力のひとつは、こうした手仕事との出会いにある。直接作り手の元で手に入れる珈琲カップ、注文して1年後にできあがる一品生産万年筆、綿から紡ぐ絣の布、独自の手法で染め抜かれたモダンな麻布、手漉き和紙の名刺・・・。ウィリアム・モリスのいう「生活の芸術化」という言葉を思い浮かべながら、地域と芸術を結ぶ私なりの仕事をしていきたいと考えている。
(2005年10月30日)
今後の予定
2005年11月16日(水)
アートフォーラム第2回
「共同による手仕事の魅力とその現代的意義」
講師:松井健氏
2006年1月28日(土)
アートフォーラム特別講演
「建築快楽主義の冒険」(仮)
講師:藤森照信氏/大嶋信道氏(建築家)
その他、12月11日(日)に『創造的都市』の著者チャールズ・ランドリーを招いた「創造都市シンポジウム in 鳥取」企画運営、今秋から冬にかけて鳥取県文化観光局と連携して「文化政策セミナー」等。今年度中に鳥取県内の低未利用空間を使って、ダンス公演の企画制作を予定。
うずめ劇場は今年旗揚げ以来10年を迎える。その軌跡を振り返る「10年誌」を今年度中にまとめたいと考えている。
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次回執筆者
バトンタッチメッセージ
確か初めてお会いしたのは、森下スタジオで衛紀生さんが企画されたアートマネジメント・セミナーでしたね。5、6年前でしょうか。鳥取へ来て、岡山が最も近い都会であることを知りました。大原總一郎の倉敷、吉田璋也の鳥取。西日本における民芸運動の2つの拠点の意味が分かります。アートマネジメントの領域でも、中国山地を挟んで、鳥取と岡山から、中国地方をにぎやかにしていきたいですね。
NPO設立後のご活動や、高松でのお仕事ぶりなどを、どうぞお伝えください。