TPAM(ティーパム)とは何ぞや?
プリコグの中村茜さんからありがたくもバトンを渡して頂きました。良い機会なので、TPAMとは何ぞや? という事を「個人的」な視点で書いてみたいと思います。考えてみれば、今までこのような事をまとまって書く機会がなかった。中村さん、ネットTAMの皆さん、ありがとうございます。
TPAM《注1》は次回で18回を迎える、つまり、実に18年も続いていますが、ご多分にもれず単年度予算を前提にしています。主催団体や予算規模もいろいろと変わり、変わるたびに催事自体が積み上げた方向とはまた別の角度でも新しい何かをしなければなりません。参加者の都合というよりも主催者の都合に左右されるという情けない事務局、というのも本当なわけで...。日本で唯一の舞台芸術の国際的なプラットフォームを預かっている身としては、主催者の都合で中止してはならぬぞ、という思いがあります。もっとも、2011年に横浜に移ってからは、国際交流基金、主会場のKAAT神奈川劇場を有する公益財団法人神奈川芸術文化財団、地元の公益財団法人横浜市芸術文化振興財団各主催者のTPAMへの理解も深く、それぞれのミッションにおいてその役割を分担しつつ協力して頂き事務局としてはありがたいです。特に1回目から主催団体である国際交流基金は組織改革がいろいろあっても、「舞台芸術の国際交流に寄与する催事」という、ドンピシャの目的の一致があるということをして、この催事を守ってくれましたが...。
しかし、まあ、次もやるかどうかはいつも、いつも、分からない。特に最初の5年くらいは、毎年毎年本当に危うかったという記憶です。その危うさのなかで、TPAMという名の催事を、「舞台芸術」の「国際的」な「見本市」にしていく為のインフラを試行錯誤してつくっていく機会、特に、他の産業見本市にはお手本がない(少ない)いわば公演のダイジェスト版であるところのショーケースをどのように成立させるのか...ということが、課題だったように思います。
この辺の経緯を丁寧に書くと、なんたって18年分あるので、すごく長くなりますので、いろいろ割愛しますが、少なくとも2004年までは、ショーケースは基本会場と基本設備、最低限の舞台スタッフ、上演時間20分という「枠」を購入してもらうというスタイルで、有り体に言えば、お金を払えば、早いもの順で参加できました。ディレクター制も部分的には始まっていましたが。
ショーケースだけでなく、ブースもそうですが、買ってもらうのだから、参加すればきっと売れる!見本市なんだから、当然そう、と、参加者の皆様は期待します。もちろん少しは売れます。しかし...、参加作品の質や参加数から考えると...売れているとは言えないわけです。
一方、世界には「売れる」見本市があるという。NYで毎年1月に行われ60回以上続いているAPAP(正確には見本市ではないです)や20年以上続いているモントリオールのCINARSなんかがそうだと言われ、そうかそうかと、それを真似すればよいのかと...。が、予算規模が違う。北米だけでなく、世界各地の見本市やフェスティバル、プラットフォームに行くと痛感しますが、何よりもっと、そう、劇場文化そのものが違う! 制作者の認知が違う!
2002年終了後に事務局を一旦辞め、2005年に事務局に復帰。30代中盤のスタッフが中心(一番上でも40歳未満)になって、再スタートを切ります。
TPAMの存在価値はなんたって、国際的であること。そして、その時代を端的に映す芸術のひとつである同時代の舞台芸術は、複雑でリニアには進化できなくなった後期資本主義社会の中で、公的支援に価する表現であるという個人的な信念のもと、同時代の舞台芸術に焦点をあてます。(もっとも、舞台芸術は原理的に全て同時代なわけですが、その辺割愛します。興味のある方は《注2》へ)。国際的であるからこそ国内と海外に分けることをできるだけやめる、少なくとも日英の完全バイリンガルをはかる。海外ゲストだけではなく国内からも公共ホールの「担当者」を中心に交通費や宿泊費も含めて招待する、海外の見本市と連携をはかり国内のプレゼンターに積極的に海外の見本市などに行って頂くようにする...。その他、ランチミーティングやレセプションなど、交流できるプログラムをできるだけ多くする。そして、ショーケースは全てディレクター制をとって、フリンジ(現在のTPAMショーケース)を盛り上げ、ショーケースはテーマを設定して毎回の切り口を提示し、オン(ショーケース=主催事業)とオフ(フリンジ)は優れたものと劣るものなどという質的差で設計されておらず、フォーカスした切り口を提示する事で同時代芸術の見方が変わる一助になれば、ということを表明する...など、当時としては、チャレンジングな変更をするわけですが...売れない。
いや、以前よりは数字は結構伸びていましたし、売れていますと言わなければ、特に当時は主催団体(の人が、その上)を説得できないので、内部的には以前と比較した数字を出して、右肩上がりです(実際そうでしたが)、と言うわけですが、それは内輪の話です。表向きには言えるようなものじゃない、と、個人的には思っていたわけです。
2006年のPPAF(ポストメインストリーム・パフォーミング・アーツ・フェスティバル)
当時、平行して2003年から3年に1回、小さなフェスティバルを実施していました。特徴は、総合芸術を謳う舞台芸術に対して、断片的・実験的・単独的アプローチに着目してなげかけるという、今ではメインストリームになっているような作品を小さいながら紹介したものです。2006年には、チェルフィッチュの「三月の5日間」が上演されました。盛況でしたが、海外公演は難しいんじゃない? という声も少なくなかった様に思います。が、ブリュッセルのクンステン・フェスティバル・デザールのディレクターに着任したばかりのクリストフ・スラフマイルダー氏が、PPAFに参加してくれたUKの劇団であるフォースド・エンター・テインメントの演出家のティム・エッチェルス氏と友達という「だけ」で、連絡をくれて、観に来てくれました。いや、他の用事ももちろんあったと思いますが。
で、字幕もないのに、感銘をうけたようで...。中村さんは英語の要約をつくっていました。同じ回を観ていた金沢21世紀美術館の近藤恭代さんが通訳を快諾してくれて、その夜、演出の岡田利規さんと話すわけです。岡田さんが何を考えているのか、などなど...。
でも、その場でオファーがかかるわけではありません。なんたって、2月のこと。その年のプログラムは決まっています。翌年以降のプログラムにはどうか...。中村さんと岡田さんは弱小小劇場(失礼! 当時ね)にもかかわらず、中村さんが同年のクンステンに仕事として出張する事に決め、どんなフェスティバルかまず知り、相手側の懐で話す...。
もちろん、チェルフィッチュの実力が大前提ですが、作品の実力だけでは最初の扉は開かない、というか、制作者の実力も重要。特に、説明する言説も巷には不十分な作品を簡単には呼べないよね。であればこそ、一定のプロセスとコミュニケーションの中で信頼関係がつくられ公演が実現する。という当たり前かつ良い実例を目の当たりにして、確信に至り...。他にも似た実例は続きますが、重要なのは同時代の舞台芸術マーケットではなくネットワークなんじゃないか! しかもその気になればだれもが共有できるネットワークが...。
ネットワークとは
個人が仕事において築き上げてきた信頼関係、コレをシェアするのはそう簡単ではありません。しかし仕事において知り得た情報や気づいたアイディア、そういう間口の広い接続点から新しい出会いを広げてネットワークを拡大する...ネット社会では当たり前のように行われていますが、同じようにネットワークの認知と拡大を業界でもできないか...。
IETMとオープン・ネットワーク
TPAMは2008年から併設して国際会議を文化庁やセゾン文化財団の助成金を得て実施してきました。まだTPAMは見本市でしたが、セミナーも実施されてはいました。が、双方向に話すディスカッションはわずかでした。今思えばなんでそんなこともできなかったか、と思うわけですが...。プロフェッショナルばかりなのだからディスカッション形式の会議を実現すべき、特に国際的な会議を実施する事は重要と考えていましたが、しかもカジュアルに...。
その最初がIETMの衛星会議です。IETMは欧州を中心に500以上の団体が加盟、年に2回の総会には500人〜800人の同時代的舞台芸術の関係者が集います。総会では、公演プログムもあります。また、オフでは公演の実務的な打合せを皆さんしていますが、公式会議ではプロモーションはしません。巨視的視野に立ったテーマがこの業界の視点からみてもゴロゴロしているわけですからそれらを話すわけです。個人的には2006年のIETMの総会に出席した際は目からウロコでした。業界の利益の話もしますが、なにより、舞台芸術というのは、社会的であるという当然の前提に立ち会議が組まれます。社会の失敗に眼を背ける為の余興として利用するような考えが大手を振っているどこかの国とは大違いと思ったわけです。
もうひとつ、IETMから学んだ重要な考え方に、オープン・ネットワークという概念がありました。詳しくはON-PAMのサイトをご覧ください。日本やアジアでオープン・ネットワークの概念に基づいた、制作者の組織やプラットフォームを築けないか...。
アートマネージャー? 制作者?
TPAMは少なくとも私が事務局を預かった2005年からは制作者を対象としています。制作者? アートマネージャー? という、大雑把に言って「作品と観客をつなぐ仕事をしている人」がいかに大事かという事はネットTAMなので割愛しますが、制作者の役割の重要度の認知を高めたい、それとともに、それに携わる私たちの意識とスキル向上をめざしたい。さらに、少なくとも公的支援を受けて仕事をしているのなら、生き馬の目を抜くような前近代的プロデューサーみたいケチな考えではなく、情報とアイディアをシェアする事で自分もまた更新できるのだということを了解する人が集まるような場のひとつにTPAMもなる事で、新しい価値の創造につながるんじゃないかと思ったわけです。
マーケットからミーティングへ オープン・ネットワークの認知と形成を目指して
以下、TPAMがマーケットからミーティングに移った2011年以降のTPAMの公式の開催主旨の三つ柱のうちのひとつです。
舞台芸術に取り組むプロフェッショナルのオープン・ネットワーク構築
芸術団体、劇場、支援団体、NPO、フェスティバル、研究機関などで、ディレクター、プロデューサー、プログラマー、ファシリテーター、その他無数の職業形態で活動する「プロフェッショナル」たちは、その 1人 1人が数百、数千の一般観客=市民につながるチャンネルです。従って、プロフェッショナル100人は潜在的に数十万人の、しかも不特定多数ではなく文化的コンセプトを持って集められた観客を意味し得ます。また、彼らはアーティストと観客の橋渡し役であるだけでなく、舞台芸術をめぐるインフラや制度の推進者、改革者であり、「芸術」「文化」の概念と意味の創造者でもあります。TPAMは、そうした国内外のプロフェッショナルの思考、実践、コミュニケーションを刺激するようなプログラムを展開することで、同時代的舞台芸術の進化/深化と観客の育成に長期的視野を持って取り組んでいます。
オープン・ネットワークは、
- いつでも参加したり、去ったり、戻ってきたりできること
- 実現目標の達成をもって解散するのではなく、異なる関心を持った成員の多様な活動を通して有機的に継続すること
- あるネットワークの内部で、より目的的な小規模のサブ・ネットワークをつくったり、ネットワーク間でネットワークを形成したりできること
などを特徴とします。衆目に触れない無数のカジュアルなやり取りがオープン・ネットワーク内で日々行われており、上演やその国際的交換はそうした積み重ねの結果、実現します。TPAMは、舞台芸術作品の流通に関して、短期的な達成目標や成果だけにとらわれず、参加者間の国際的なオープン・ネットワークがTPAMをきっかけに自動生成、展開、深化してゆくこと、プロフェッショナルやアーティストのモビリティが向上すること、ひいては舞台芸術の創造、支援、発展、発信、批評、研究などの高度で国際的な展開につながるであろう環境が構築されることをめざしています。
TPAMをマーケットからミーティングにはっきりと変えた事によって、売り買いの呪縛から解放されると、むしろ、この催事は日本の同時代芸術の今の情報が行き来する場として、豊かに機能し始める事になります。詳細をすっとばして大雑把に言えば、一押しの、優れているものが集まる、という美辞麗句を放つ事から原理的に解放された事で、率直なやり取りが生まれた事が大きいのでしょう。
ON-PAMの総会は2014年のTPAMで同時開催します。ON-PAMについては前回の中村さんの記事に詳細がありますのでそちらをご覧いただくとして、このオープン・ネットワークがアジア域に広がっていく事に貢献する事が、TPAMの次のステップと密かに思っています。
他、TPAMについてはいろいろあるわけですが、(なんたって18年!)、最後にTPAMについてもうひとつ。
TPAMディレクション、について。
TPAMディレクションとは「若手」の制作者3人程度がディレクターになりプログラム実践の場として彼らが作品を選定して制作し提供するというものです。新しい作品やアーティスト、またはアーティストの新しい側面を紹介するのは1人のディレクター制では限界がある事や、より多くの人に公式プログラムの機会を提供したい反面、舞台芸術はその形式から美術や映像、文学(脚本)のような公募が機能しにくい事などが理由です。後者について言えば、公募をして100の作品が集まっても上演できるのは10にも満たないので、結局間口は広がらず傾向を読まれ、回数を追うごとに応募数が減る...結果、他のジャンルに比して短命なものが多いのは、舞台芸術、特にスキルを競うようなことに意味を持たない同時代の舞台芸術の形式による気がします。それより、制作者に焦点をあてている催事なのだから、プログラム創出の機会を広げようと思いました。若手と言っても今までディレクターになった人たちはすでに実績もある一人前の制作者ですが、いつもの仕事では出来ない新たな挑戦を、失敗を恐れずに実践できる場になればと思います。
サウンド・ライブ・トーキョー
ところで、昨年から音と音楽にまつわる表現の可能性を探求するフェスティバル「サウンド・ライブ・トーキョー」にディレクターとして携わっています。新しいフェスティバルを立ち上げたのにはいろいろな経緯、理由がありますし、このフェスティバルの話をするのは早すぎると言う気がしていますが、私なりに制作者として今考えている事を伝え得るかと、プレスリリースの原稿にししようとしてボツにした原稿の一部を掲載して、終わりたいと思います。
「サウンド・ライブ・トーキョーは、ジャンルにも世代にもこだわらず、「サウンド」に関わる表現活動の現在を紹介するために開始された新しい音楽フェスティバルです。
音楽は最も抽象的で純粋な芸術ジャンルであると言われ、とりわけ 3/11以降の日本では、形にならない不安や希望を自由に表現する能力、人々を拘束することなくつなげる能力、あるいはオピニオンを押し付けることなく伝播する能力を持ったジャンルとして注目されているようです。
そこには一抹の真実がありますが、楽器から発される音、口から発される音、電気的に生成される音、情報を伝える音、録音物の再生音、都市の環境音などのそれぞれに芸術史的、社会的、政治的レイヤーと歴史性があり、「音」が利用されやすいフラジャイルな媒体であること、利用のされ方によっては極めて危険な力になり得ること、「音楽」の自由さは所与ではなく獲得されるべきものであることもまた事実です。
「感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである(...)これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる」
カント『判断力批判』上巻、篠田英雄訳、傍点原文、293〜295 頁、岩波書店、1964年。
本フェスティバルは、「音」の諸位相と「音楽」の裏表に切り込む決然とした知性と才能を備えたアーティスト、あるいはそれをアクチュアルに体現するアーティスト、そしてそのうえで「音」の自由な力を解放できる アーティストを紹介し、音楽を含む広義の「サウンド」に関わる表現の可能性を観客の皆さんとともに体感することをめざしています。
(2013年7月29日)
今後の予定
サウンド・ライブ・トーキョー
会期:9/21(土) - 10/7(日)
都内各地で開催
ON-PAMシンポジウム@京都エクスペリメント
日時:10/14(月・祝)
国際舞台芸術ミーティング in 横浜(TPAM)
会期:2014/2/8(土) - 2/16(日)
関連リンク
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強いて言えば、代官山にある渋谷区のプール
PARCの水泳部最年長です(肘を痛めて休部中)
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
山口さんはドイツ文化センターに長年務められた後、国際交流基金ケルン事務所を経て現職。多くの日本人アーティスト、マネージャー、研究者をきめ細かい、かつ的確な対応で特にドイツ語圏の関係者や団体につないでくださいましたが、私もその恩恵に預かった1人です。
今までご自身の活動や背景、信念などを公には伺えませんでした。この機会に是非、国を超えて人と人をつなぐ仕事について個人的な視点から伺いたいと思います。きっと、団体で働く多くのアーツマネージャーの方へのエールになるから、と思うのです。