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アンデルセンのメルヘン大賞をつうじて、創業者の想いを全社にしみこませていく。

株式会社アンデルセン・パン生活文化研究所

アートの現場レポート!企業編

企業の中にもたくさんのアートの現場が存在します。ここでは企業が行うメセナ活動(芸術文化振興による豊かな社会創造)の現場へ足を運び、担当者の方へお話をうかがう取材レポートをご紹介します。アートを通して企業のさまざまな顔が見えてくると同時に、社会におけるアートの可能性を見出します。

第6回は広島で創業した「タカキのパン」のパン屋さん。タカキベーカリー、アンデルセン、リトルマーメイド、トランドールといった方が馴染み深いかもしれません。「H.C.アンデルセンがその繊細な童話によって世界の人々に夢や希望を与えたように、パンのある食卓を通じて、豊かな暮らしを届けたい。」という創業者の想いから、デンマークにアイデンティティを求めたベーカリーとレストランの複合店「アンデルセン」。今では日本中で親しまれる「デニッシュペストリー」を日本で初めて発売したパン屋さんです。タカキベーカリー創業35周年事業として1983年から始まった「アンデルセンのメルヘン大賞」をメセナライターの瀬戸義章さんが取材しました。

作家、アンデルセンの一生

「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」。数々のメルヘンを残したハンス・クリスチャン・アンデルセンは、童話のように生きた人だった。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

1805年4月2日、デンマークの貧しい靴屋に生まれ、オペラ歌手を目指したが挫折。国王の援助で大学に行くも、陰湿ないじめを受ける。創作童話が世界中に愛されるようになってからも、幾度となく失恋を繰り返した。

リンゴをもらった幸福と、ガラス片が突き刺さった痛み。美しいものへの憧れと、たくさんの挫折。そういうもので彼の作品はできている。

──ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。(『絵のない絵本』より)

アンデルセンが亡くなったときは、王族から浮浪者までが教会に押しかけ、その死を悼んだという。

「私の生涯は一篇の美しい童話である」。

自伝にそう残した。

ベーカリーとレストランの複合店、アンデルセンの誕生

作家アンデルセンが去ってから73年後、戦後間もない広島に、小さなパン屋が生まれた。のちにアンデルセングループを立ち上げる、高木俊介・彬子夫妻の「タカキのパン」だ。

高木夫妻・パン職人・お手伝いの女性の4人で創業

粗悪な小麦粉しか手に入らない混乱の時代に、なんとかしておいしいパンを届けたい。高木俊介氏の心の内にあったのは一冊の本、内村鑑三の『デンマルク国の話』だ。そこには、19世紀、プロイセン・オーストリア連合に敗れたデンマークが、いかにして希望を捨てず、土地を耕し、国土を復興したかが説かれている。

──戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰り来たりしときに、ダルガス一人はその面に微笑をたたえ、そのこうべに希望の春をいただきました。(『デンマルク国の話』より)

デンマークが永い時間をかけて復興していったように、永い時間をかけて事業を育てていこう。日本にパンの食文化を築いていこう。その思いを胸に、1959年、高木俊介氏は欧米への視察に赴く。そして、デンマーク・コペンハーゲンのホテルで、思わず笑顔になる味と出会った。バターをふんだんに使い、生地を何層にもふんわりと重ねたサクサクのパン。すぐさま日本での紹介を決意して、電報を打った。

今では「デニッシュペストリー」として日本中で親しまれているパンは、こうして生まれたのだった(ちなみにデニッシュは「デンマークの」という意味の英語」)。

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デニッシュペストリー

その数年後、「アンデルセン」が広島にオープンする。ただのパン屋ではない。レストランもあり、デリカテッセン、ミート、ワイン、食卓を彩るフラワーまでも品揃えされている。「H.Cアンデルセンがその繊細な童話によって世界の人々に夢や希望を与えたように、パンのある食卓を通じて、豊かな暮らしを届けたい。」高木俊介氏は、アンデルセンという店舗にそんな願いを込めていた。

童話をつうじて生活に潤いを。「アンデルセンのメルヘン大賞」

戦後、日本経済は右肩上がりで成長し続ける。カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」が家庭に揃い、「一億総中流」が実現したといわれた。しかし、物質的には豊かになったが、日本人の精神はどうなっただろうか? 公害が激化し、過労死が注目され、いじめが大きな社会問題となっていた。

1983年、心の豊かさへの貢献をしたいという思いから、タカキベーカリーが創業35周年事業として始めたのが「アンデルセンのメルヘン大賞」である。

全国から童話作品を募り、選考委員長の童話作家立原えりか氏が全作品を読み、予備選考をしたうえで、プロの絵本画家・イラストレーター5名が「描きたい作品」を最終的に選ぶ。結果発表は4月2日。アンデルセンの生まれた日だ。受賞作品は同年10月に、メルヘン文庫として単行本化される。2024年には第41回を迎える、歴史ある賞だ。

第40回授賞式の様子

第40回 一般部門大賞 「しあわせの赤いセーター」の挿絵

受賞作品は単行本化される

立原えりか氏は、第4回の講評でこんな言葉を述べている。

「楽しんで書くことが、メルヘン大賞をかちとるもっとも大切なテクニックなのでした。楽しみながら書くためには、生きることをまず楽しまなければなりません」

童話作家の登竜門ではなく、創作の機会を提供することによって、その人の生活に潤いをもたらせ、幸せを感じてもらえることが目的だ。毎年、約1,000件もの応募がある。この賞を担当する株式会社アンデルセン・パン生活文化研究所の竹内智美氏は、「アンデルセングループの活動を象徴するのが、アンデルセンのメルヘン大賞です」という。

「デンマークとのかかわりがとても深く、独自性を追求し、そしてなにより、心豊かな生活文化を発信し続けているのが、アンデルセングループです。アンデルセンのメルヘン大賞は、こうした企業活動のすべてに通じていると思います。授賞式では毎回、『ああ、ほんとうに幸福を届けることができた』と感じる瞬間があって、それが担当者の醍醐味です」

アンデルセン童話の初版本を紹介する竹内氏

童話を通じて、グループに理念を浸透させていく

創業から75年が経ち、アンデルセングループは従業員数が6,000名を超えるまでに拡大した。直営店舗の運営から冷凍パン生地を使ったFCビジネス、業務用パンの提供、小売店へのパンの卸まで、総合的なベーカリービジネスを展開している。事業会社は国内外合わせて9つ。「創業の思いをもう一度伝えていくことが課題」だと、株式会社アンデルセン・パン生活文化研究所 広報室 室長 亀岡大介氏は語る。

「これまでメルヘン大賞は社外へのPRに時間・費用を使ってきました。しかし、会社が大きくなり、組織が分社化する中で、もう一度、従業員のみんなに賞の目的を伝えて、共有していくことが必要だと思っています。アンデルセンのメルヘン大賞は理念の象徴だからです。私たちは”アンデルセン”だとあらためて自覚することによって、理想に向けて意気揚々と働けるような、そんな文化を築いていきたいと思います」

メルヘン大賞への思いを語る亀岡氏

近年、「データ駆動型経営」が話題になっているが、数字や記号だけで人の情感に訴えかけることは難しい。童話はきっと、豊かな生活だけでなく、豊かに働くことにも気づかせてくれる。一つの物語や一枚の挿絵が、分厚いレポートよりも人間社会を鮮明にすることだってある。

アンデルセングループは今日も、パンを通じて童話のように夢や希望をふくらませているのです。

2020年に建て替えオープンした広島アンデルセンの前で

取材を終えて

おいしいパンは、本当に幸せな暮らしにつながるな、と、広島アンデルセンのレストランの"ブレッドバー"で何度もお代わりをしながら、そう強く感じたのでした。


株式会社アンデルセン・パン生活文化研究所
取材日:2024年2月7日(水)
取材先:広島アンデルセン(〒730-0035広島市中区本通7-1)


メセナライター:瀬戸義章(せと・よしあき)

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