ネットTAM


リレーコラム「もし1550億円の予算を手にしたら、あなたはどのような未来をつくりますか?」スーパーバイザーの所感

ネットTAMが2004年10月にスタートしてから
124回にわたってバトンをつないできたリレーコラム。
昨年リニューアルをして、
初回のスーパーバイザーをお引き受けいただき6カ月にわたり、
ワクワク感満載のバトンのリレーを実現してくださった
プロジェクト・コーディネーター/プランナーの若林朋子さんから
ご自身で放ったバトンの軌跡を振り返り、
その所感をいただきました。
明確な問題意識と課題が提示され、
ワクワクと明るい未来とともに、
身の引き締まるようなミニミニコラム、
ぜひお読みください。


「新リレーコラム第1クールの終わりに」

あっという間の半年間。一番いい思いをしたのは、私に違いない。
常々じっくり話を聞きたかった5人の方々に、
自分の問いかけに正面から向きあってもらったのだ。
5つのコラムは、読みながらなん度も声をあげたほど、
前に向かうエネルギーに満ちていた。
吉田由里さん(MAT, Nagoyaプログラムディレクター)、
中西玲人さん(米国大使館文化担当官補佐)、
八坂千景さん(NPO法人denk-pause代表)、
坂口大洋さん(仙台高等専門学校建築デザイン学科教授)、
岩本悠さん(島根県教育魅力化特命官)、
忙しい日々の合間をぬって思いを巡らせ原稿をつづっていただき、
ほんとうにありがとうございました。

ここで5人の方々の最高の「妄想と提案」について私があれこれ感想を書くのは、
皆さんの読後の余韻に水を差すようなもの。
野暮はさけたく思う。
代わりに、「1550億円の予算を手にしたらどのような未来をつくるか?」
というテーマに込めた課題意識について書き残したい。

課題と感じることの1つは、
アート・文化領域における、根拠・論拠の強度不足。
アートプロジェクトのミッションも、
施策や活動方針変更に対する批判も、
「2020年以降の方向性」も、
どうも表層的になってしまっていないだろうか。
なぜそう考えるのか、なぜ反対/推進するのか。
個々の根拠の強度を上げてこそ、
アート・文化全体の説得力も増すと思うのだが…。
新国立競技場問題を借りて、「なぜ」を問うこと、
判断の根拠を丁寧に提示することに光をあてたかった。

2つめは、アート・文化領域では、
お金の話がなおざりにされがちなこと。
お金がないないと誰もが言うけれど、
会計や税金の理解、適切な人件費や支払いのこと、
大小さまざまな予算を適切に組んで効果的に動かす訓練は、
後手後手だ。
目前の予算額や助成金の枠内だけで動き、
「1550億円の予算なんて考えられない」と思考停止した瞬間に、
そのお金は永遠に入ってこないのだ。
準備なきところにお金は近寄らず、である。
1550億円は単なるメタファー。
金額の多寡によらず、
行政、企業、NPO、個人等さまざまなレベルで、
もっともっと文化のお金について
感度を高める必要性を感じての「イチゴーゴーゼロ」だった。

3つ目は、自ら考えない思考停止の蔓延。
ゼロから自分で「なぜ」を問い、
思考してみることを放棄してはいないか。
探す前から「リストをください」と言ってはいないか。
オリンピック文化プログラムは、
「オリンピック憲章で定められているから」
「ロンドン大会がこうだったから」
「国の助成金がつくから」
「全体的にそういう流れだから」、
アクションを起こすことになっていないか。
果たしてそれらの産物は、
アートの形かもしれないけれど、
真に創造的といえるのだろうか。
オリンピックの有無にかかわらず日常はここにあり、
未来はやってくる。
未来は自分たちの責任でつくらねばならない。
そこで「妄想」による思考の開放を考えた。

……と、日ごろ「おや?」と感じてきたことを書いたら、
せっかくのわくわくするコラムの後なのに、
なんだか暗くなってしまった!

5つのコラムは、妄想の翼を広げてゼロから思考してみることで、
こんなにも未来の可能性を耕せるのかと覚醒させてくれた。
執筆者はそれぞれに「なぜ」を丁寧に提示し、お金についても考え、
テーマに込めた問いを見事に回収してくださった。
最後にもう一度、ありがとうございました。

(2016年3月25日 若林朋子)

DSC09054.jpg

この記事をシェアする: