フェスティバルゲート、その背景
アートNPOリンクがお送りする連続フォーラム、「全国アートNPOフォーラムinフェスゲ!」と、「TAMフォーラム分科会D」では、ともに<フェスティバルゲート>をケーススタディにディスカッションを開催します。
そこで、このフォーラムを、ぐぐっと楽しんでもらうために(?)、これまでの経過や、地域のことなどを簡単にまとめてみました。
ご一読の上、ご参加いただけるとわかりやすいかも。
topic1:フェスティバルゲート周辺は、大阪の縮図
フェスティバルゲートは、大阪市浪速区と西成区の境目にあります。
最寄り駅は、市営地下鉄動物園前駅(御堂筋線、堺筋線)、JR新今宮駅、南海新今宮駅などがあり、大阪中南部の交通の要所となっています。
北側には、通天閣でおなじみ「新世界」があります。下町テーマパークのような街には、串カツ屋が軒を連ねています。そのさらに北側に隣接するのは、秋葉 原と並び称される電気の街「日本橋」です。秋葉原と同様、家電やパーツの店とオタク向けショップがひしめいています。そして、南側の西成区に入れば、西日本最大のドヤ街「釜ヶ崎」があります。通天閣や電気街など、大阪らしい魅力の集積が集積している一方、低所得者層が多いこと、商店街の空洞化が進んでいること、そして少子高齢化といった都市の社会問題。この相反する要素が集積しているのが、フェスティバルゲートの周辺地域です。
topic2:新世界アーツパークとは
2002年にスタートした「新世界アーツパーク」事業は、大阪市の現代芸術政策です。フェスティバルゲート内の空き店舗を活用しアートスペースを行政が設置し、その運営をアートNPOに委託するという"公設置民営"方式で運営されている、アートセンターです。現在、"コンテンポラリーダンス""メディアアート""実験音楽""ことばとコミュニケーション"の4つのアートNPOがそれぞれスペースを運営してます。現代芸術の発信、育成、国際交流などの活動はもちろんのこと、地元地域へ出向いてのアートプロジェクトを実施するなど、その活動の幅は広がり続けています。昨年には、「新世界地域」と「日本橋電気街」において、アートフェスティバル『ビッグ盆!』を実施。42年間途絶えていた新世界の盆踊り大会を復活させるとともに、4つのNPOがそれぞれの得意技をもって、地域で展覧会やワークショップを開催しました。ところが、拠点であるフェスティバルゲートが、今年7月に体制変更をすることから、その時点での退去を余儀なくされています。そこで4NPOは「未来計画実行委員会」を結成。これまでの経過、すなわち行政との恊働事業であったことを踏まえ、この問題を芸術文化政策のいち事例としてオープンにしていこうと、2005年に連続シンポジウムを開催してきました。
未来計画シンポジウム議事録(log-osaka web magazine 内)
未来計画シンポジウム議事録
topic3:フェスティバルゲートの不安定さ
1997年にオープンした、複合型遊園地「フェスティバルゲート」は、大阪市の負の財産の象徴のような存在です。当初は『土地信託方式』で運営されていましたが、2004年に破綻。その後『マスターリース契約』を前提としたコンペによって、企業連合体が再生にあたりますが、これも頓挫してしまいます。
こうして二度の失敗を経て、現在は、元の持ち主である市交通局が直営の形をとっていますが、運営すれども経営せずの状態で、残留しているテナントは、総床面積のわずか10%程度です。昨年2006年9月に、大阪市が外部委員を招いて開催した「あり方検討会議」において、7月にちょうど10周年を迎えることを機に、「売却」か「暫定的公共利用」のいずれかを選択するよう示されました。これを受け市交通局は、「公共利用案」のコンペを実施すべく、今年1月に要項を発表しました。
大阪市交通局「フェスティバルゲートの今後の動きと公共利用案の募集について」
「フェスティバルゲートの今後の動きと公共利用案の募集について」