アートNPOなるものを立ち上げて3年余り、今も思い出す1997年の光景がある。
トヨタ・アートマネジメント講座(TAM)Vol.6松山セッションの開催、その名も「アートワールド探検講座--アートの道も一歩から」。
アートはマネジメントしなければならないものなのか、この地域に新しいアートを定着させるためには何が必要なのか、そもそも地域にアートは必要か。100人を超える参加者をまえに、地方都市松山で、はじめて「アートマネジメント」という言葉をめぐって熱く議論したのである。私がコーディネーターをつとめたセッションは「趣味ということ、仕事ということ」。高知県文化財団の藤田直義氏、松山市役所の田中教夫氏とともに、映画や劇場をめぐって、経済的利害を度外視して支える人々を検証した。他のセッションでは、秋元雄史氏、大竹伸朗氏など今をときめくアートにかかわる猛者たちが参加し、親しく語り合った。
松山は、「俳都」と呼ばれるほど俳句が盛んであり、絵画や音楽に親しむ人も多いなど芸術文化の香り漂うまちだといわれる。しかし、アヴァンギャルドなものはさっぱり。コンテンポラリーダンスが盛んであったり、1970年前後には具体グループが個性的な活動を展開したり、素材はたくさんあるのに、時間軸でいえば多彩な成果が受け継がれず、同時代の横軸でいえば、他分野との連携がまるでない。もったいないこと極まりなかった。
当時、TAM松山を立ち上げた面々は、こうしたことを意識しながら、アート、とくにコンテンポラリーアートを側面から支援し、かつ、この地域に根づかせようと考えた人々であった。TAM開催は、必ずこの地域にアートの「ちから」を認識させ、またコンテンポラリーアートを花開かせることができると信じていたし、事実、貴重な火種が生まれたのである。
この火を消すまいとしたメンバーは、その後、「ミーツアーツミーティング」と称するアートツアーやシンポジウムなどを開催し、松山市の文化施設と協働して「ダンスウェーブ」や「アート・リング」を立ち上げるなど努力を続けたが、断続的な開催では継続性に欠け、また市の財政悪化などが重なって、地域で盛り上がるというところまではいたらず。
このままではTAMでの成果が雲散霧消してしまう、こうした危機感を持った数名が恒常的な組織化を構想しはじめた。それがちょうどアートNPOが各地に生まれていた時期と重なり、わたしたちも2004年8月に特定非営利活動法人クオリティアンドコミュニケーションオブアーツ(通称カコア)として認証を受けることになった。現在、質の高いアートの社会的効用を信じ、中間支援に徹した活動を志している。TAM松山がなければ、今日のカコアは誕生しなかった。
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2007年8月に「アート蔵」(カコアの拠点)でおこなわれた「en・coRe」公演開演を待つ人々 |
こうした講座の最大の果実は出会いであると思う。地域の限られた人材と資金のなかで苦闘していると、蛸壺に陥り、問題解決の指針を見失う。TAMで出会った人々はもちろん、それをきっかけに拡大した人の輪は、NPO結成に、その後の運営に、そしてアサヒアートフェスティバル参加に、大きな力となった。先に名前を挙げた藤田直義氏とは高知県立美術館館長に就任された現在も親しい交流が続いているし、田中教夫はカコアの事務局を担っている。秋元氏にはカコア設立記念シンポジウムにゲストとしてきていただいた。出会いを継続させれば、信頼が生まれ、本当のネットワークが張り巡らされる。
TAMは、今もネットTAMとして絶えざる出会いの場を提供していると思う。同時に今度はわれわれカコアが、ささやかながら新たな出会いの場を地域に提供する番だと考えている。
(2007年9月25日)
徳永 高志
NPO法人クオリティアンドコミュニケーションオブアーツ代表
1958年岡山市生まれ。大学院終了後、松山東雲女子大学教員、高畠華宵大正ロマン館などを経て、現在、アートNPOカコア代表。茅野市民館コアアドバイザーなどを兼任。
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