コミュニティ・コミュニケーション
開催日: | 1996年6/30、7/14、8/4・25 |
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開催地域: | 札幌 |
会場: | まつもとコーポレーション、デビットホール、岡山県立美術館、後楽園、鶴鳴館 |
ジャンル: | 美術 |
参加者数: | 319人 |
コーディネーター: | 岡山県立美術館 柳沢秀行 |
岡山でやる意味を問うた結果、何から何まで岡山を向いた「こてこて岡山セッション」をTAMの冒頭に置くことになった。
この街の規模なら、美術、音楽、演劇等の表現活動やマネジメントにかかわる人間が互いに顔を合わせる機会も多く、おのずとアートと社会にかかわる問題意識あるいは共通認識をかなりの部分で共有する人脈もできている。それゆえ、まずそのネットワークを広げる場として、そしてそんな意識や認識をさらに深める議論や、あるいは実践が発生してゆく起点として、TAMのプログラムを性格づけたほうがよいと判断したからこその「こてこて岡山セッション」となったのだ。
具体的には、議論のテーマを全て岡山での現実的な事象とし、パネリストもその当事者ばかりで、そこに外部の人間を1人加える構成とした。それゆえディスカッションよりも知識提供的な事例報告の比重が増したが、一方でアートに限定されず各事象にかかわるさまざまな人間がパネリストや聴衆として参加することとなった。特に毎回、行政の担当者を招きいれたことで、民間レベルで培われている人脈やノウハウを提示する場としてもTAMが機能し、さらには民間側の意思が行政を通じて自己実現する回路が開かれ始めたのは極めて効果的だった。こうした出会いの場として毎回終了後にセッティングされたパ−ティ−もかなり機能したろう。それだけ金はかかったけれど。
さて、その後の具体的な展開を列記するにはとても紙数が足りない。TAMを起点としたアクション・プログラムは次々と相乗効果を呼び、密度濃く進行中であるとだけお伝えしておく。TAM岡山セッションは「岡山」の「明日」につながる種蒔きだった。芽を育てるのは岡山にいる僕らだが、時おりとびっきりの肥料や水をまた与えてほしい。
[岡山県立美術館学芸員 柳沢秀行/98年7月]